ザルツブルクからミュンヘンへ、そして帰国

というわけで私はいまフランス、パリの玄関口シャルル・ド・ゴール空港におりまして、シャンパンやチーズを片手に(一部〜大部分誇張あり)羽田行きの飛行機を待っているところです。今日もタフめの移動をいたしました。ザルツブルクからミュンヘンへ、ミュンヘンからパリへ、そしてこれからパリから東京へ。遠いね、そうだね。眠いね、そうだね眠いね。

ザルツブルクと言えばモーツァルトの生まれ育った地です。街のプライドですね。音楽院の名前もモーツァルテウムと言います(ただしモーツァルトはザルツブルクが大嫌いだったっていう事は内緒にしておいてほしい)。だから私も今日は朝一でモーツァルトが住んでいたモーツァルトハウス、そしてモーツァルトの生家へ。ザルツブルクの城塞(上の写真)にも大急ぎで登りまして10時半にはザルツブルク駅にいた。もはやこれは観光ではない。苦行と言ってもあながち間違ってはいますまい。

なによりザルツブルク、暑すぎたぜ・・・。

これまで行く機会のなかったモーツァルトハウスはどうだったのでしょう。「小さいがインプレッシブ」とホテルのフロントの素敵なおばさまに言われて行ったのですが、本当に小さくてあっという間に終わってしまった。途中のお部屋で、クリストフ・コンツがヴァイオリン・ソナタを弾いていた映像にしばし見入っておりました。今日あそこで、映像を見てニタニタしている奇っ怪なアジア人の中年男(ユニクロの白T)を見かけた方がおられたら、それは私です。

しかしモーツァルトハウスはまじであっという間だった。モーツァルトがザルツブルク大嫌いだった理由がわかるような気がしましたね。だって一瞬だもんね。・・・ってそういう問題ではないですが、ちょっとばかし期待値を上回っては来なかった、とも言えましょう。

反対に、あまり期待値を高めずに伺ったモーツァルトの生まれたお家の方はなかなか趣のある内容。さまざまなグッズがあり、遺髪あり、グルベローヴァ(20世紀の偉大なソプラノ歌手)が着てたとかいう夜の女王の衣装が飾られていたりと、なかなかに至れり尽くせりでった。

個人的には救急箱っての?ミニミニなお薬がずらっと入った箱とその中にドールハウスみたくぎゅぎゅぎゅと詰め込まれたミニミニ小瓶にぐっと来ました。クラシック音楽が好きなら、これだけを見にザルツブルクに来る価値がある、そう思いましたね。ええ。これ↓ちっさいんだぜ、、、、。

モーツァルトのお父さん、レオポルドは無鉄砲というか、言うことを聞かない息子になんやかんやと手紙を書いて諭していたとか、こういうものを食べればいい、とかそういうアドバイスをしていたとどこかで読みました。この救急箱は実際にモーツァルトが使ったものではなさそうですが、当時のものだそうです。現在の医学からすると、なんすかこれ、お茶飲んで寝たほうがましやぞ的なものもあるかもしれず、隔世の感があります。でもこういうものをモーツァルト、いやモオツァルトは目にしていたのだろうと思うと、実にインスピレーションにみちた小箱であったと言えましょう。

全然関係ないけど私の実家には富山の薬売り(本当に行商?というか、アポなしで売りに来た人)から買った救急箱があったよな。そういうたぐいのものだよねきっと。

モーツァルトはショパンみたいに段々段々と年月をかけて弱っていったのではなくて、確かわりと急に体調が悪化して亡くなっているんですけれど、やばいなっていう時にこういう小箱からお薬を飲んだかもしれないですよね。

しばし感慨にふける事ができ、実に嬉しい。

それからザルツブルクではモーツァルトハウスの近くにカラヤンの生家っていうのも見つけたのと、ちょっと行ったところにビーバー(動物ではなくて作曲家です)のお家らしきものも見つけました。あとモーツァルテウム(音楽院)の建物が洒落てたのがよかった。西洋音楽の歴史がそこここにありました。

というわけでこれを持ちまして今回の私のニコニコ欧州旅行記は終わりとさせていただきます。

まとめると、

1日目:ブルージュ国際古楽コンクールのファイナルに行った
2日目:ロンドンでミーティング&BBCプロムス
3日目:ロンドンミニ観光、フランクフルト経由でザルツブルクへ
4日目:ヤメン・サーディとシュニッツェル歓談。ホテルのシャワーからは水しか出ない
5日目:ザルツブルクプチ観光、ミュンヘンのビアガーデン、パリからの帰国

今回の旅のハイライトは、ブルージュ国際古楽コンクール、そしてヤメン・サーディ、と言ったところでしょうか。

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