【インタビュー】ウィーン国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに昨年秋25歳で就任したヴァイオリニスト、ヤメン・サーディ


今からちょうど三ヶ月後、11月22日(水)に東京の浜離宮朝日ホール(大江戸線・築地市場駅すぐ)にて日本で初めてとなるリサイタルを開催するヤメン・サーディは、昨年秋にウィーン国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに25歳で就任し、世の中をあっと驚かせた。

1997年イスラエル、ナザレ生まれ。バレンボイムが創設したウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団に11歳で入団。そしてその6年後からコンサートマスターとして活躍していた。若いとは言え経験豊富なヴァイオリニストであると言ってよいだろう。現在はウィーン国立歌劇場管弦楽団のコンサートマスター試用期間中であり、ウィーン・フィルでも演奏する姿が見られている。ヤメン・サーディはこの夏、ウィーン・フィルが毎年滞在しているザルツブルクにいて、オペラやコンサートで演奏していると聞いた私は、アポを取り付け大陸横断弾丸突撃インタビューを敢行。多忙な時間をやりくりしてもらい(インタビューの場所と時間は前日の夜まで決まらなかった)、今の生活、ヴァイオリンを始めたきっかけ、日本デビューリサイタルへの抱負などを様々に語って貰った。

2023年8月13日(日)、ザルツブルク
聴き手:山根悟郎

- ウィーン国立歌劇場管弦楽団、そしてウィーン・フィルのなかでの演奏を楽しんでいますか。

サーディ:もちろんです。オペラで弾く経験はこれまでに全くなかったですし、素晴らしく、特別な響きを持つオーケストラのコンサートマスターという仕事は特別なことです。毎日が経験に満ちていてとても刺激的です。

最初に演奏したオペラはなんでしたか?

サーディ:確か《椿姫》でしたね。本当は(去年の)9月頭から演奏するはずだったんですが、ビザが遅れて10月の半ばになったんですよ。それから初めてのリハーサルはバレエでした。《眠れる森の美女》ですね。そして同じ週に《ナクソス島のアリアドネ》もありました。素晴らしいオペラです。

バレンボイムが創設したウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団で長い間コンサートマスターをされていましたね。その間にオペラを演奏する機会はなかったのでしょうか。

サーディ:ディヴァン管はコンサートしかしませんからオペラの経験はありませんでした。

ウェスト=イースタン・ディヴァン管に入ったのはいつでしたか。

サーディ:2008年ですね。11歳でした。

そして6年後にコンサートマスターになったのですよね。最初からコンサートマスターになりたかったのですか?

サーディ:そうだったと思いますね。まずは後ろから前の方を見ていて、あの席で弾きたいと思っていました。実は初めて私が聴いたオーケストラがウェスト=イースタン・ディヴァン管だったんですよ。ヨーロッパでね。そしてその数日後に、同じ街で別のオーケストラがオペラを演奏するのを聴いたんです。それが初めてのオペラでした。チャイコフスキーの《エフゲニー・オネーギン》です。それが2007年、ザルツブルクでのことだったんです。そう、オペラを演奏したのはウィーン・フィルだったんですよ!

- 運命的な。

サーディ:そのときは夢にも思わなかったですよね。やがて自分でも室内楽を演奏するようになり、オーケストラで演奏するようになる。そうすると室内楽と同じように、第一ヴァイリオンが音楽を引っ張って行くということを学んで行ったんです。オーケストラのコンサートマスターも私にとっては同じことのように感じられます。大きな室内楽なんです。

(インタビューは激暑のザルツブルクのカフェで行われた)

とはいえ次元が違うオーケストラなので入りたいなんて考えたこともなかったのですが、オーディションの話が突然あって、受けることになったんです。とても仲のいい友人が「受けろよ」っていうので。最初はためらったんですが。

ウェスト=イースタン・ディヴァン管に入ったきっかけはなんだったのでしょう。

サーディ:エルサレム室内楽音楽祭でバレンボイムに出会ったんです。バレンボイムの妻エレーナ・バシュキロワがやっている音楽祭ですね。そこでメンデルスゾーンの八重奏を演奏しました。バレンボイムが演奏を聴いて気に入ってくれたんです。

私は地元ナザレの、バレンボイムが設立した音楽院で勉強していました。バレンボイムに出会ったのはそのときが2回目だったんです。すごく親切にしてくれて。それでバレンボイムに、ディヴァン管に入れないでしょうかと尋ねたんです。そうしたら「演奏はとてもいいけれど、ちょっと若すぎる。まだ10歳だもんね」と言われたんです。

なので「自分が若いのは知っています。じゃあ自分がいま21歳っていうことにしたらダメですか。それなら若すぎませんよね」と冗談を言ったんですよ。バレンボイムはそれが気に入ったみたいなんです。翌年、メンバーになりました。

- ウェスト=イースタン・ディヴァン管からいろいろ学んだんでしょうか。

サーディ:
もちろん。そしてバレンボイムからは本当にいろいろ学びました。素晴らしい考えを持ったとてつもなく大きな音楽家です。音楽家としてだけでなく、人としても素晴らしい。バレンボイムは一人の人間として世界のため何ができるか、ということを考えています。

- バレンボイムのことを「めちゃくちゃ怖い」という人もいますが。

サーディ:そう?(笑)そんなことは全然ないです。自分の人生で出会ったなかで誰よりもチャーミングな人ですよ。本当に。凄まじいカリスマを持っているし要求ももちろん高いですよ。オーケストラには高いレベルでの演奏を求められる。集中すること、楽曲の細かな様々な点を理解している必要があります。でも怖いと感じることはありません。バレンボイムのような人はいません。いま健康の状態がそれほど良くないのはとても残念です。バレンボイムの健康を願わざるを得ません。

- 一番最近バレンボイムと演奏したのはいつですか。

サーディ:
4月ですね。モーツァルトの協奏交響曲をバレンボイムの息子マイケルと一緒に演奏しました。彼がヴィオラを弾いて、バレンボイム=サイード・アカデミーのオーケストラと一緒に。

- ああ、ベルリンのブーレーズ・ザールのコンサートですね。ではあなたのことに話を戻して・・・。ウィーンではオーケストラのメンバーはあなたに優しく接してくれますか。

サーディ:ものすごく親切ですね。自分のことを受け入れてくれていると感じます。よく気がつく人たちですし、素晴らしい演奏をするし、とても優しいですね。

- 歌劇場にオーケストラの団員は何人ぐらいいるのでしょう。

サーディ:180人です。すごい人数ですよ。

でもコンサートマスターは4人しかいませんよね。毎日違うオペラをやり、そのうえたくさんのコンサートもやっている。どうやって時間のやりくりをしているんでしょうか。

サーディ:なるべく早くに準備を始めるようにします。ギリギリになってしまわないように。いったん一つのオペラを学んだらそれがまた何度も演奏されるわけですけれど、知らない作品の場合は特に準備が大切ですね。そのオペラのためにどれだけ時間を割けるかをよく考えて練習します。もちろん、練習するだけでなくオペラを可能な限りたくさん聴かないといけないですね。

どこで自分が入るのか、ということも知っていないといけません。もちろんそれほど複雑というわけでもないけれど楽に出来るというものでもありません。スコアもしっかり見てチェックする必要があります。小節の最後で入るんだ、とか、2,3拍前から、とかそういうことですよ。録音を聴きながら弾いてみるということもします。

ともかく時間配分をきっちりとすることですね。早起きして、午前中や昼間に練習が出来るようにすることもあります。あまり早起きは得意じゃないけれど。

マルタ・アルゲリッチは「日が出る前には寝るようにしたいと思っている」という話を聞いたことがありますけれど。

サーディ:そこまでは遅くないですね。

やっぱり。練習はたくさんするんですか。

サーディ:そうですね。しますね。しっかりと身体が引き締まっている状態が好きなんです。

若い頃からたくさん練習したんでしょうか。

サーディ:若いときはそうでもなかったですね。そこまで練習はしなかったかもしれません。

ヴァイオリンを始めたきっかけはなんだったんでしょうか。

サーディ:テレビで見たんですよね。それで親にヴァイオリンをやりたいって頼んだんです。ヴァイオリンはめちゃくちゃ難しいぞと言った人もいました。世界一難しい楽器だ、と。じゃあそれは自分にぴったりだな!やりがいがあるじゃないか、いいね、って思ったんです。何かめちゃくちゃに難しいことに挑戦したかったんです。

- 何歳でしたか。

サーディ:とても遅かったです。8歳からです。

たしかに早くはないですね。ご両親は反対されませんでしたか。

サーディ:全然。むしろ励ましてくれましたね。二人とも音楽家ではなかったのですが。両親は私が成功したいと思うことで成功してほしい、と願ってくれました。それが音楽だったというわけです。

ヴァイオリンを辞めたいと思ったことはないですか。

サーディ:ありません。ずっと魅了され続けています。もちろん楽じゃないときはありますよ。でもそれはそれですね。音楽はいつだって大好きですから。

オペラでもコンサートでも演奏するオーケストラのなかで演奏するというのは特別なことでしょうか。オペラとコンサートは互いに影響を与えるものですか。

サーディ:もちろんです。深く関係しますね。オペラで演奏することはフレキシブルであるということです。歌手の声と一緒に演奏するわけです。声というのはとても自然で、指揮者を見る必要すらないこともある。その一方でコンサートからはフルサウンドで演奏することを学ぶわけですね。オペラでは声に対して注意深くないといけないわけです。最高の音質を保ったまま、気をつけて演奏しないといけない。この両方を兼ね備えるということですね。エレガントさ、大きな音。これこそがオーケストラに特別な音を生むレシピだと思いますね。

両方をするということはとてもいいことなんですね。

サーディ:もちろんです。そしてウィーン・フィルは独自の音やスタイルといった伝統を保とうとしています。それも特別なことだと思います。ニューイヤー・コンサートも世界レベルでいわば伝統になっていますよね。ウィーン・フィルは、なんていうか、、、目覚ましい業績をあげているのだと思います。

(ここでいったん休憩して私がザルツブルクで頂いたウィーナー・シュニッツェルの画像をどうぞ。この向こう側にヤメン・サーディがいると想像しつつ、引き続きましてお読みください。ジャガイモなら濃厚でねっとりしていました。)

ウィンナ・ワルツはお得意ですか?

サーディ:ウィンナ・ワルツを演奏するのは大好きですね。あの独特のリズム(筆者注:ウィンナ・ワルツは伝統的に2拍目が少し早く、3拍目が少し遅く演奏される)はうまく音楽に結びついていますね。うまく言えないけれど、ごく自然に演奏ができます。つながっていると感じますね。もちろんどうやって演奏するのか技術的なことも学びましたが、自分の感覚に合っている気がします。最初はちょっと戸惑うけれど、でもすぐに慣れます。まずは何度か聴いてみて、それからちょっと弾いてみる。そうすると自然に演奏できます。

ウィーンというのはとても保守的だと言われることもあります。あなたはウィーンの音楽院などで勉強してるわけではありませんね。孤立しているとか、疎外感のようなものを感じることはありませんか。

サーディ:ありません。もちろん可能な限りたくさんのことをオーケストラから学ぼうと思っていますし、修正や微調整はしないといけません。どこであれ違う場所や異なるオーケストラにいくと、そこの音に自分をフィットさせる必要があります。そのオーケストラのサウンドに溶け込む必要があります。でもこれはよき課題だと言えますね。自分の演奏を変えるというわけではないけれど、自分の中で何かを変化させるということです。とてもエキサイティングなことです。

イタリアオペラはイタリア人にしか指揮できない、という指揮者がいたんですが、オーケストラ奏者は言語に秀でている必要があると思いますか。特にオペラを演奏するにあたって。

サーディ:言語はプラスにはなるでしょう。私は母国語であるアラブ語、ヘブライ語、英語、それからドイツ語、これはもうちょっと進歩しないと。それからスペイン語も少しだけ話します。フランス語も勉強したけど使わなかったので今はしゃべれないですね。

ウィーンでは毎日違うオペラを上演していて、リハーサルなしでの上演も多いですよね。

サーディ:長くて難しいワーグナーなんかでも一回通すだけとかですね。

それはとても難しいことだと思いますが、どうやってこなしているんでしょうか。

サーディ:簡単ではないです。基本的には何回も演奏してきた人のためのシステムなんですよね。そしてすでにメンバーは自分のものにしている。しかし素晴らしい指揮者たちが音楽を示してくれる、だからすぐそこになじむことができるんです。最初は本当にものすごく難しいことでしたけれどもね。次がどうなっていくのかということを全く知らないわけですから。でもそれも冒険の一部というか、自分自身は楽しんでいます。

- コンサートマスターとしてあなたはオーケストラを引っ張って行くという仕事があるわけです。日本では若者は年長者に従うべきだという考えがあります。あなたはまだ若いですが、オーケストラをリードして行くことに難しさを感じることはありますか。

サーディ:
コンサートマスターがオーケストラをリードすることは「悪い」ことではありません。そして命令するわけではありません。グループの中でリードしていくわけで、リードしながらもグループの中にいるわけです。その中で一緒に演奏をしましょう、というものです。これがコンサートマスターの仕事の一部です。多くの場合は指揮者が何を望んでいるかを理解し、それをオーケストラに浸透させるためのものだと考えています。

恵まれていると思うのですが、ほとんどの場合の指揮者は素晴らしい。そしていいオーケストラであればコンサートマスターのしなければならない仕事は少なくて済むのだということも付け加えておきたいですね。ここでは誰もが素晴らしく演奏し、音楽的で、知的です。私のすべきことは身振りで入りを示すこと、リズムに正確であることなどでしょうか。あとは独奏を上手に演奏するという点も重要です。それだけです。もちろん、年長の演奏者と一緒に演奏することは時々緊張しますけれども。

若い人が経験者から学ぶというのは、素晴らしい伝統ですね。

サーディ:そうですね。私ももちろん、ほかのコンサートマスターたちに質問をしますし、彼らから様々なことを学んでいます。オペラについての知識が豊富ですし、経験を積んでいますから。

- 素晴らしいですね。やがてあなたが反対の立場になって若い人たちに教える、という日が来るのでしょうね。

サーディ:そうですね!今日の音楽家のレベルは非常に高いですね。技術のレベルはとても高い。大切なのは、自分の、自分自身の考えを持って音楽を演奏することでしょうか。それによってクラシック音楽はもっともっと面白くなるのではないかと思います。

ウィーン国立歌劇場管弦楽団ではこれまでアラブ人がコンサートマスターになったことはないと思います。これはブレークスルーだと思います。

サーディ:そうですね。ウィーンではいなかったし、多分ヨーロッパ全体でもほとんどないのではと思います。少なくともこの数年は。うれしく思っていますし、とてもエキサイティングなことだと思っています。でもそのことについてはあまり考えすぎないようにしています。

- これは日本の若者たちにとっても励みとなるのではないかと思うのです。ウィーン国立歌劇場管弦楽団やウィーン・フィルに入りたいと思う日本の若者たちは沢山いると思うのですが、彼らにアドバイスがあるとすれば何でしょう。

サーディ:一番重要なのはサウンドでしょうか。あなたがパガニーニのように弾けたとしても、それだけでは十分ではありません。みんながどんな演奏をしているかを知り、それに近づこうとすることも求められます。どのように音楽に対峙し、どのようにフレージングをしているのかといったことです。でもきっと時間の問題ではないかと思います。

- ヨーロッパやウィーンで勉強するということが必要だと思われますか。

サーディ:そうですね、少なくともウィーンを訪れるのはいいことだと思います、もしもオーケストラに入りたいのなら。訪れればウィーンの音楽伝統について知ることができますね。もちろん日本にも素晴らしい教育者がいます。音楽面でも技術面でも素晴らしい教育者が。ですから日本とヨーロッパの両方を知ることはとてもいいことだと思いますね。

日本デビューリサイタルについて

それでは今年11月の日本でのリサイタルについてお話ししましょう。プログラムはどのようにして決めたのでしょうか?

サーディ:プーランク、これは最新のCDで録音をしているから。もちろんこの曲が大好きなんですが、あまり演奏されていない、ということも理由として挙げられます。R.シュトラウスについては、もちろん素晴らしくてロマンチックで、大変美しい作品だからですし、シュトラウスという作曲家はウィーンとも結びつきがありますね。ブラームスの2番は、これまであまり自分自身が演奏する機会がなかったのでという意味もあります。

フランクはとても有名ですが、今年初めて演奏しました。あまりに有名だし誰もが演奏するので、演奏したいと思う気持ちになかなかならなかったんですよ。弾いたらとアドバイスをくれる人もいなかったですし。でも演奏してみてとても興味深い作品であることに気がつきました。いずれにせよこういう「大ヒット作」も誰もがいつかは学ばないといけないですね。

- 日本に来るのは初めてですね。

サーディ:そうです。とても楽しみにしています。早く行きたいですね。音楽家仲間から日本ほど素晴らしい国はないと言われています。そんな国はほかにはありません。食べ物も素晴らしいし、人々も素晴らしい、そしてすべてがきちんとしている、と聞いています。これまでに行く機会がなかく残念に思っていましたが、今回こうして初めて行けるので楽しみでしょうがないですね。

音楽以外ではどんなことを経験したいですか。

サーディ:食べ物ですね!私にとって食べることはとても大事なことです。いつも新しいことは経験したいと思っていますから、可能であれば少し外に出て観光もしたいと思っています。

ありがとうございます。11月にまたお会いしましょう。

サーディ:ありがとうございます。11月に!

●11月22日(水)19:00開演 浜離宮朝日ホール(大江戸線・築地市場駅すぐ)
ヤメン・サーディ 日本デビューリサイタル 

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