ニューヨーク出身のバーナード・ガーフィールドさんは、1942年に音楽高校を卒業すると陸軍に入隊。あまりの才能からあちこちの軍楽隊の監督たちからひっぱりだこ。その才能によって、軍隊ではライフルではなくファゴットを手にすることが出来た。終戦後除隊し、1948年にニューヨーク大学の文学部学士号を、1950年にコロンビア大学で作曲の修士号を取得。
ニューヨーク・シティ・バレエのオーケストラで首席ファゴット奏者をしていたところ、1957年にユージン・オーマンディによって直々にフィラデルフィア管弦楽団の首席ファゴット奏者に抜擢された。しかもオーディションなしで。
そしてその後43年間、同オーケストラで演奏し、鉄のカーテンの向こう側であるモスクワ、あるいは冷戦時代の北京でも演奏したと。オーケストラと協奏曲を演奏し、フィラデルフィア木管五重奏団での活動など、室内楽にも積極的に関わり、夏はジョージ湖畔の別荘で妻とペットたちとともにすごし、引退後はファゴットのための32の練習曲集を完成させ、さらに生涯で数え切れないほどの賞を受賞した。
・・・・・・などと書かれております。いろいろ書いてごめん。退屈だった人、ごめん。でもね、こういう経歴を読むと、なんだかその人の歴史がキラキラと輝いて目の前に浮かぶようで、私は結構好きなんだな。プロフィールって退屈、って思うかも知れませんけれど、その人の人生がそこには詰まっていますから、読んで遠い目をするのもたまにはいいですよ。うん。
ここでいったん休憩して、モーツァルトのファゴット協奏曲を聴こうぞ。演奏はオーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団、ソロはもちろんガーフィールド!
で、ここで我々の目を引くのは、オーマンディが直々にヘッドハンティングをして、オーディションをすることなくオーケストラに入団させた、という点でしょう。
いまは音楽監督にそんな権限はないし、後の例ではカラヤンがマイヤーを無理に入れようとしてベルリン・フィルと対立した事件もありましたし、そういうことをいま指揮者がやると、白い目で見られることは間違いないって言うか、いや、白い目で見られることはないか、そもそもそんなこと出来ないから。
しかし昔はそういうことができた。70年前はそういうことができたということですね。しかしそれでも、不公平感はあったのではないか。ものすごい高ストレスにさらされたのではないかと思いますね。この人は吹けるのかしら、ちゃんとほかのメンバーとうまくやっていけるのか、そういう好奇の目で、みなさんから見られたことはまず間違いがない。しかし見事にその務めを果たし、長きにわたって活躍されたということでありましょう。素晴らしい人生だったに違いない。
100年という長き人生を終えられた。そっと合掌。
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