チューバ100人。空前絶後の作品が史上三回目の公演(チケットは完売)

1971年に書かれたものの楽譜は紛失し、2006年になって再構築されてニューヨークで初演、だが100に届かず、2025年にアメリカで2度目の上演が試みられたが、やはり100名に届かなかったみたい?という、謎めいた作品があり、、、、それがこのたびとうとう、昨日スコットランドの音楽祭で100人集まって演奏された、、、、のではないかという話です。

世界各国からチューバ奏者が集まったとありますが、本当に100人集まったのかどうかは不明。しかもチューバと言いつつも、初演のときも今回も、ユーフォニウムであったり、スーザフォンであったりヘリコンであったりテナーホーン(めっちゃちっさい)であったりと、ともかくチューバ系の楽器であればオーケーとしているのは、100人もチューバ奏者を集めるのが大変だからかな?チューバ奏者がたくさん集まっている風景ってなかなか想像しがたいですもんね。チューバってなんかどっちかというと群れない孤高の存在っていうイメージ(勝手な憶測)。なお今回はワーグナー・チューバだってOK!(待て君はホルンでは?)

25人ずつのチューバ奏者4隊が、4人の指揮者とともに会場を行進しながら、動きながら演奏する。どういう動きをするのか、そもそも楽譜がどうなっているのかは不明ですがいわゆる普通の楽譜ではなさそうで、図形楽譜?か何かのようです。そもそも作曲者はどなたかというと、アンソニー・ブラクストンというフリージャズ出身の実験音楽作曲家。この100本のチューバ以外にも4本のシャベルのための作品とか、60人が8時間演奏する作品とかもある。わけ分からない感じですね。この曲の作曲の出発点も、25人のチューバ4隊をつくってそれぞれ違う方向を行進させたらどうなる、という発想だそうです。パレード大好き、と言っている作曲家がパレードを実券音楽の舞台にしてしまったという曲。

そしてそれが現実になってしまった。

なんていうかこう、現代美術に通じる部分があるなあ、と思いました。ほら最近もバナナを貼り付けただけの作品でそのバナナが食べられちゃってニュースに、みたいなの、ありましたよね。そういうなんかこう、意味がわからんけど意味は勝手に聴衆が解釈して愉しんでいくみたいな。楽しけりゃオッケー、的な。楽しんで!

全曲が聴いてみたい数奇なあなたは以下バンドキャンプに初演時の音源がアップされているのでどうぞ↓

https://newbraxtonhouse.bandcamp.com/album/composition-no-19-for-100-tubas

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