チャイコフスキー国際コンクール(モスクワ)開催へ

4年に一度の開催で、今年が開催年になっていたモスクワのチャイコフスキー国際コンクール。開催されるかどうか、ということは広く人々の関心事だったわけですが、開催されることが昨日明らかになりました。より正確には、参加者の募集が始まったことが突如として公式サイトに発表されたのであります。

ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、声楽、木管、金管。6月19日から7月1日まで。応募は発表と同時に始まっており、4月1日まで可能で、オンラインで申請する。参加費はゼロ。応募者の中からプレ選考が行われ、ピアノ25名、ヴァイオリン25名、チェロ35名、声楽60名(男性30、女性30)、木管48名、金管48名が最大数となるようです。

開催にあたって文化相オルガ・リュビモヴァのコメントが載っていて、参加は「世界中の音楽家に開かれている。文化、芸術、音楽には制限はない」とのこと。

申し込みのページを見ると、名前とかメルアドとか国籍とか電話番号とかを入力するだけで完結するようになっており、無料で、しかも少ない情報量だけで申し込みが出来てしまう。前回の申し込みもこんなに簡単にできたんでしょうか。もしそうでなかったとすれば、参加者の数や国籍の多様さを獲得するためではないか、と考えることも出来るのですがそれはうがち過ぎか。つまり、XXヶ国、xxxx名もの応募があった!と宣伝するために利用されるのでは、という印象も持ってしまうのです(前回もこんなんでしたで、ということでしたらすいません)。

コンクールの模様は公式サイトおよびロシア版のフェイスブックと言われるフコンタクテで中継されるともあります。YouTubeやmedici.tvとの連携があるのかないのかも気になるところですが、企業的な考えとしていまロシアの国際コンクールとの提携は、楽観的な会社でも躊躇すると思われます。しかし同時に、ある程度以上の、世界中からのアクセスも想定されるわけで、どのような判断がなされるのかは不明。インターネットで視聴するという行為に関しては、それをやめるだけの罪悪感を持たない、あるいは好奇心なんかが押さえられない人も少なくないでしょうから。

しかし第17回のコンクール優勝者という勲章は同時に足かせともなりかねない。ロシア人の若者であればその足かせの意味合いは薄まるかもしれないけれども、西側諸国からの参加はやはりためらわれるでしょう。

政治や世界情勢に翻弄される若者はかわいそうだ、というのは本当にそうです。しかし参加を考える若者は、参加することで発生する意味をよく立ち止まって考えてほしいと思います。戦争開始から1年を迎えさらなる攻勢も計画されているというニュースも流れてくるなか参加するという事は何を意味するのか。入賞して注目を浴びた時、あるいは参加したという事実さえも糾弾の対象となる可能性がある。そういう時に自分の言葉でゆらぐことなく自分を擁護出来るか、大きな反発や炎上を生まないかどうか、実際そうなったときどう対処するか、そこまでを自問してからにしたほうがいいと思います。

参加費は無料だから、記念で、軽いノリで参加してみます、だって年齢制限もギリギリだし、とかそういうのはやめることをおすすめ。

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