生音信仰は終わりにしないか

クラシック音楽は生の音、つまりマイクとスピーカーを通さずに演奏するのが当たり前、というのがまあいわば一種の業界の常識というか、皆様の共通の見解だったりもするわけです。

なぜなら、ロックやポップスなどとは比べものにならないほどの小さい音な瞬間が多々あって、そういう箇所にも大変な命が宿っていて、それがまた聴き手を満足させる味わいの一つだからでもあるわけですけれども、それにしてもそろそろそういうのは終わりにしてはどうか。・・・というのは乱暴にしても、生音100%が正解というわけでもないよ、ということを考えてみてはどうでしょうか、という話です。

あそこのホールはこの席が響きがよくて、反対にここに座るととんでもなく何も聞こえなくて、みたいなマニアな方々の会話、ございます。実際そうなのでしょう。それがために音響設計、という特殊な仕事も生まれ、閉じた空間の中に、より多くの人が「美しい」と感じられる響きを作る、ということが目標とされるわけです。でも、音響設計って、確実にこうすればうまくいくというものでもないようで、専門家が設計しても、やっぱりなんかどうもうまくいかんなー、みたいなことにもなるとかならないとか聞きます。富岳で飛沫のシミュレーションをする、みたいなそういう事でしょうかね違いますかね。

じゃあ、そもそも、そういう難しい事はもう機械とかAIとかにやってもらったら?っていう考え方もあります。ロンドンのキングス・プレイスは360度のサウンドシステムをインストールしたそうで、19個のスピーカー、48チャンネルがあると、それによって音の響きを全く変えることができるのである、ということだそうです。

https://www.euronews.com/culture/2023/01/19/how-a-london-venues-new-soundsystem-is-reinventing-the-concert-experience

そんなん意味ある?人工的な音でしょう?だめだめ、とか直感的に思われたかもしれません。しかしホールの芸術監督が「自分の感覚を奪われる」といっておりますし、あなたのその直感は正しいのかい?かつて齋藤雅弘さんがご自宅においておられた古い日本製の残響制御装置は若干(むしろかなり)人工的な響きがしました。ご本人もそれを了解済みでしたけれど、いまはもうそんなことない。最近のシステムはきわめて自然というか、操作されていることに全然気がつかないレベルだという話は何人もの方から聞いた話であります。積極的にこのような装置を使うことも選択肢に入れることで可能性はより広がる、満足度も高まる気がするんですよね。

人工的なものは嫌い!それはそうです。しかしそもそも人工的かどうかさえ気が付かない響きが生まれていたら・・・?それは・・・未体験ゾーン突入や!!

とは言え優秀な技術者による慎重な操作も必要でしょうから、作ったら作りっぱなしなのではなくて、ある程度のランニングコストを見積もる必要があります。しかしこういうランニングコストとかそういうのって、すぐに切られてしまいがちなんですよね・・・・。

あれ、積極的な話で終わるはずがなぜかネガティブな話で締まりそうだ。いや、ランニングコストは大切です。長い長い視点を持って生きて行きたい。あ、それかAIが全部操作してくれる日も遠くないかも。

とか思う今日この頃。

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