イヴァン・フィッシャーがベルリン・フィルを降板した話の続きですが、各地で反響が大きいのか、ベルリン・フィルが声明を発表し、イヴァン・フィッシャーはVANのインタビューに応えています。
両者にそれぞれの言い分があって、それぞれが十分に矛盾しない、それぞれの立場や考えを表すものだと思うのですが、2022年にフィッシャーはベルリン・フィルで同じことをやっていた。何をしたかというと、コントラバスを通常の舞台の左右後方いずれかではなく、木管楽器の後方舞台中央に配置するということだった模様。
これはウィーン・フィルが本拠地のウィーン楽友協会で演奏する際の伝統的なスタイル。なぜかというと、舞台が狭くてコントラバスがそこに行かざるを得ないから、とか、これが上手く響くから、などと言われます。
しかしベルリン・フィル(あるいは他の大多数のオーケストラ)にとっては、イレギュラーな形になる。話し合いが行われたが、うまくまとまらなかった。ベルリン・フィルとしては、2022年に試した際には音響面や奏者同士の視線に問題があったという。一方イヴァン・フィッシャーは、ベルリン・フィルの伝統的な演奏体制を時代遅れであると批判する。地元のブダペスト祝祭管ではもっとすごい配置をしている!《田園》はオーケストラが木の下でピクニックをする。首席ファゴットは第1ヴァイオリンのなかに座って演奏する(えっ!)。
アメリカの議会のように、激論を戦わせ、ギリギリまで引っ張って最後になんとか着地!!というパターンを目指したが、うまく行かなかったということでしょうか。しかし今回、フィッシャーは、わりと直前にこの配置を示した図面をベルリン・フィルに送ったと言っていて、これは調整不足を指摘されると若干弱いかもしれません。あらかじめ言ったらやぶ蛇でダメって言われるに決まってるから最後に後出ししたのでは、と勘ぐる人もいるかもしれませんね。なお本人は2022年の経験から問題ないと思っていたようです。
予断で話をするのはよくありませんけれど「2022年にやっていたからじゃあ今回もね」となるかどうかは別、とは思います。「やってみたけどダメだった、だからごめんね」というのも十分にありうる話です。とはいえ、そういう同じことばっかりやってたらあかんねん、これ、うまく行くねん、という主張も、それだけみればわからないでもなく、意見をまとめるということの難しさのようなものを感じます。
オーケストラも社会の縮図なのです。人の世はとかくに住みにくい、と喝破した夏目漱石の偉大さよ(そこに着地させるのか)。自分のことすらままならないのに、まして他人をや。


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