イヴォンヌ・ロリオはメシアンを支えたピアニスト。10代でメシアンに出会い、お互いに情熱を燃やすも、メシアンは敬虔なカトリックで妻がいて、、、。その妻が亡くなり、結婚をするまで実に20年もの年月がかかった。
メシアンはロリオに出会う前と出会った後では明らかにピアノの扱いが変わった、それほどまでにロリオは超絶優れたピアニストだったということが知られております。日本でもロリオに学んだピアニスト、いますよね。故藤井一興がその代表的な存在でしょうか。
一般的にイヴォンヌ・ロリオはスーパー天才ピアニストとして理解されていたかと思いますが、実は作曲もしていた。メシアンのクラスに入っていたのだから考えてみれば当然かと思いますけれど、しかし作品は長い間、棚の奥深くに仕舞われたままだったというのも興味深いですね。
2015年にメシアンとロリオの膨大な資料がフランス国立図書館に移されたあと研究が進み、10前後の作品が残されていることが明らかになった。そしてその一つ、《La Sainte Face(聖なる顔)》が今月ケント・ナガノ指揮WDR交響楽団の演奏で、ベルリン・フィルハーモニーで初演されたというのです。なんと、280ページ、90分という長さのソプラノ独唱付き巨大オーケストラ作品で(フルート7、ピアノ、チェレスタ、オンド・マルトノ2台を含む)。
21歳のときに書かれ、その当時見たトリノの聖骸布のレプリカ展示、そして友人だった若きオルガニスト、ジャン=クロード・トゥーシュの悲劇的な死(パリ解放の日に独軍の銃撃を受け死亡)、それがこの巨大な作品の作曲の背景。書かれてから81年の間、一度も演奏されることがなかった。
そして初演の評価は複雑。ベルリナー・ツァイトゥングは「異質、ワイルド、唯一無二」と評価。音楽専門紙『Neue Musikzeitung』は「刺激的、不快、音楽的クリシェの彼方」と評価しています。客席はさほど埋まっておらず、途中で退出する人もけっこういたとか。
メシアンがその才能を高く評価していたにもかかわらず、27歳にしてその筆を折ったのはなぜか。メシアンを支えることに徹した、とか、ピアニストとして爆発的に売れてそもそも時間がなかったから、ということもあるのかもしれませんが、こうしてずっと、破棄されることなく自宅に保管されていたというのは、思い入れや愛着もあったのだろうと思いますね。
不思議な気持ち。


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