世の中いろいろな方がいらっしゃいます。
いや、人のことを語るよりなにより、私自身もそういう風に思われているかもしれません。あの人はどうだだのその人だああだだのあまり言うべきではないのでしょうね。明日は我が身というか、今日も我が身、昨日も我が身。
いや、昨日は刺身を食べたぞ。
イタリアには偉大なオペラ作曲家プッチーニを記念したプッチーニ音楽祭というものがありまして、野外でやるらしんですよ。いいですよね。今年で69回目なんだそうですよ。さすがにプッチーニは違うね。場所はどこかっていうと、プッチーニのおうちがあったトッレ・デル・ラーゴというところです。地図でいうと↓ここです。イタリア行きてえ。
この音楽祭ではやはりプッチーニのオペラを中心に上演が行われるわけなのですが、今年はオープニング公演がいきなり物議を醸した。なぜなら、演出がいわゆる一つの「読み替え」で、本来の内容からストーリーが大きく換えられてしまうこととなり、指揮者が怒ってしまったのであった。
怒れる指揮者はどうしたか。作曲者にいいつけたのか。いいえ、作曲者プッチーニは台本にめちゃくちゃケチを付けるので有名で、本来そういう事をしたら激怒したであろうけれども、すでに亡くなっているのでそうもいかない。なので、抗議の意味で「目隠しをして指揮」したのである!!
‘Bohème’ en Torre del Lago: dirige la orquesta con los ojos vendados para protestar contra la puesta en escena –Scherzo
https://scherzo.es/boheme-en-torre-del-lago-dirige-la-orquesta-con-los-ojos-vendados-para-protestar-contra-la-puesta-en-escena/
これは奇抜。新しい。
目隠しをして指揮、出来るのかしら出来ないのかしら。答えあわせをするのなら、出来る。が、制限されることも多い。
リズムを刻むこと、そして次に音を出す人(のいると思われる方角)に対してキューを出すことはできる。ただし、目でもってニュアンスを語りかける、あるいは不安そうにしている奏者や歌手に対するケア、そういうものはできない。
その昔、カラヤンという大指揮者が目を瞑って指揮をするということで知られていましたが、あれだってずっと目を瞑っていたわけではなくて、時々目をあけている。ここぞっていう時にはあいている。いや、むしろけっこうあいてたと思うよ。視線が下を向いていただけで。
そもそも指揮者が目を瞑っているとあぶないよ。エスカレーターの手すりを持ちましょうじゃないですけれど、指揮者っていうのは高い台の上に立っているんであって、ずっと目を閉じていて指揮して、興奮のあまりうっかり足を踏み外したらステテンテンのテンである。大事故である。
そういうわけで?かどうかは判りませんけれど、この指揮者には結果的に大ブーイングが投げられることになったのだといいます。「ブッフォーネ!」(道化師)「シェーモ!」(バカ)などと聴衆からやじられ、市長には「自分が楽譜を心得ていることを示したかったのだろう」と皮肉られてしまった。
いやはや、オペラの演出において指揮者に出来ることはほぼない。だからオペラはやりたくないんだという指揮者もいるぐらいですね。
オペラは誰のもの?演出家のもの!!!なんてこった!シェーモ!!!!
コメント
コメント一覧 (1件)
今回の記事も興味深く、読ませて頂きました。
特に、欧州では、オペラでの奇抜な演出が問題となって久しいですが、指揮者は、オペラで音楽だけに貢献すれば良い存在であるというものではないと強く感じます。上演の関係者やチケットを買った聴衆にとっては、この指揮者の行動は、許せないものかもしれませんが、何故、批判が演出に向かないのか、よく理解できません。
このようなことが続くと、オペラの演奏会形式上演がさらに加速化され、チケットも高額になっている歌劇場など、先日の記事にあった、バイロイトのように、聴衆が離れていくと感じますが、本当にそれで良いと関係者は考えているのでしょうか。