さまざまな議論を呼んでいたチャイコフスキー国際コンクール、すべての部門が終了し結果が発表されています。
結果を見ましたが、韓国勢の多さに軽く驚きます。ヴァイオリン部門、チェロ部門、そして声楽(男性)を制したのはいずれも韓国人です。そしてそれ以外のピアノ、木管、金管、声楽(女性)はロシア人がそれぞれ優勝。中国勢も多く入賞しています。ピアノ部門の2位タイには英国人。
各部門の結果は公式サイトからどうぞ:https://tchaikovskycompetition.com/en/
戦争の最中に、そしてワグネルによる騒乱もあったなか行われた今回のこのコンクールの結果には誰も純粋な気持ちで喜べないし、純粋に「良かったおめでとう」と言い切れる人もいないでしょう。
私自身としては今回のコンクールには「参加すべきではない、参加すべきではなかった」という考えでいますけれど、ロシア含め様々な国の若い演奏家たちが様々な思いを胸に参加し、その意味を理解した上で参加したわけなので、もうそこは外野がどうこう言う問題ではないのかもしれません。
政治や戦争と文化は別、とすることは出来ません。そしてチャイコフスキー国際コンクールはロシアという国家が関与しているコンクールであり、優勝者や入賞者が少なからずロシアのプロパガンダに用いられることも確実です。
しかしロシアの、あるいはロシア以外から参加を決めた若いアーティストたちにも生活や未来があります。コンクールというものは「強力なキャリア形成のきっかけのひとつ」です。もともとその人が持つ才能にコンクールで優勝した、入賞したというきっかけ、ブースト機能が合わさってその人のキャリアが形成されていくわけです(もちろんブーストされても消えていく人は消えていくし、ブーストがなくても輝かしいキャリアを築く人もいます)。そしてチャイコフスキー国際というエンジンは世界的に超強力だったし、しかもそのエンジンをゲット出来るチャンスは「一生のうちわずか数回」という少なさなのです。
今回の結果は苦みを伴うものです。しかし人は忘れっぽい生き物でもあります。結果は結果として常にそのアーティストのプロファイルに残るわけですが、今回の特殊だったチャイコフスキー国際という単語もやがて年月が経つうち人々の心の中で透明なものとなっていくのでしょう。コロナがいま急速に人々の心から忘れられていっているのと同じように。
「あのチャイコフスキー国際の優勝者か!」という思いは、いまは広く共有され、ときに激しくネガティブな感情を呼び起こすものかもしれません。しかしその思いは時間とともに薄まっていくのでしょう。気がつけば「そういえばこの人はあの時のチャイコフスキーで入賞した人だったのだね」ということになる。コンクールというブースト機能がそのアーティストの中での役割を終え、副次的なものになっている、そういう日が来るのかもしれません。
コメント
コメント一覧 (1件)
諏訪内さんがチャイコンを征して話題となった時に、勤め先の同僚と話をしていて、「彼女はこのチャンスにどこまで行けるかで音楽家人生が決まる」と言ったら大いに驚かれたのを覚えています。同僚はこれだけで一生安泰と思っていたそうでした。あと、チャイコン取った後に上手くブーストに乗れなかった人としてピアニストのバリー・ダグラスを思い出します。武蔵野に聴きに行ったような記憶があるのですが合ってますかねぇ、山根さんは関与されていたのでしょうか。音楽雑誌ではその後の彼はコンクール荒らしに戻った、と心ない記事を読んだ記憶があるのですががどうなさっているのでしょうね。英語版wiki読んでも演奏キャリアは2000年代が最後の記載となっているようですし。