ニューヨーク・フィルの女性団員が男性団員の数を上回る

ニューヨーク・フィルの歴史はたいへん長くて1842年の設立。今年はちょうど180年にあたるわけです。なおウィーン・フィルも同い年の1842年設立です。ちなみにこの年はアヘン戦争が終わった年でありまして、日本では天保の改革の真っ最中であった。そう、「白河の清きに魚も棲みかねてもとの濁りの田沼恋しき」なのであった(それは寛政の改革)。はっ、、、上様、上様っ!!(ガーン)、ええい、切れ、切って捨ていぃぃっ!!(享保の改革)。越後屋は今日も悪であった。

このたびニューヨーク・フィルでは長い長いオーケストラの歴史ではじめて女性団員の数が45人となり、44人いる男性団員を1名上回ることになったのでした。最近採用された12名のうち10名が女性だというのだから、ますます女性が輝いていると言えましょう。1970年代には5人だったことを考えると大きな前進である。

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とはいえ、首席奏者に就いている女性はまだ少なくて3分の1。黒人やラテンの人たちも非常に少ない。女性は「スカート」とあだ名をつけて呼ばれていたこと、2018年まで夜の公演では床までとどく黒いスカートを着用しなければならなかったことなどが書かれておりました。ひどい差別をするものだね。

いわゆるカーテン審査のおかげで女性団員が増えた、という意見もあり、それはある程度は役に立っているかも知れませんけれど、だいたいの場合オーディションは何ラウンドかあって、最終審査ではカーテンを外して審査するんですよね。これ、カーテン審査に意味があるのかとか思ったりもするんですがそこんところは誰も疑問に思わないのでしょうか。最後までカーテン審査でやるべきなのではないか?とか思ったりもするのですが、最終審査はカーテンを外してやるっていうことに関して、誰か詳しい人の解説を願いたい。

カーテンが外れて年老いた人物が出てきたら「将来がない」などと点数を下げる理由にするのだろうか、あるいは黒人やラテンの人物が出てきたら何らかの理由をつけて点数を下げる理由にするのでしょうか、とか思ってしまうのは邪推ですか。

あと、黒人やラテンが少ないというのは、そもそも子供の頃からの徹底した教育が必須(遅く始めると習得できない)、という特殊な事情があるためです。つまりそういう教育を受ける黒人やラテンの子供たちの絶対数が少ない、ということも確実に影響があるということは忘れないようにいたしたいと思いますね。黒人やラテンの人たちの数を増やしたいのであれば、彼らの子供の頃からの楽器教育に関する意識改革、あるいは収入の多寡にかかわらず習い事を可能とする環境などを整えていくなどの対策も必要だったりするのかもと思います。

また女性の数が増えているというのはいいことかもしれませんが、それだけプロのオーケストラ奏者になりたいと考える男性の数が少なくなっている、もしくは反対に、そう考える女性の数が増えているのかもしれません。

平等のための平等ではなく、よりよいオーケストラをつくりたい、よりよい音楽をやりたい、という気持ちがすべてを突き動かして行くべきなのであります。

ピース。

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