フジコ・ヘミングの思い出

私のような人間がフジコ・ヘミングさんと縁が、、、それがあったんだな。

本当に最晩年、数回だけでしたが、私はご縁を頂戴し、舞台を共にしたことが何度かあります。

えっ!!舞台を共に!!

そう興奮しないで。舞台を共にといっても共演したわけではなくて、数回だが譜めくりをさせて頂いたことがあるのです。貴重な体験をさせていただいたことをテンポプリモ、サンライズプロモーション東京の両社にも感謝しています。純粋な譜めくりだったこともあるし、「お守り」的な立ち位置というか座り位置というか、譜めくりの人が通常座る場所にいて、楽譜を持って音楽についていく、という事もやっていました。

もしかしたら、ピアノの脇にへんなおっさんが座っていたな、と思い出していただくかたも居られるかもしれません。どこでめくらせて頂いたか。秋田、白河、所沢、越谷、富士、和歌山、松山、宮崎あたりだったでしょうか。もう少しあったような気もします。舞台に上がるという行為はとてつもない緊張を強いるもので、その緊張を、楽譜を持った人(お守り)が後ろに控えているということで和らげられていたのだ。そう理解しています。

はじめてこの役をさせていただいたのは所沢ミューズでした。舞台袖で舞台に上がる直前、フジコさんは、十字を切ってため息をつき「ああ怖い」と独り言を言われたのでした。

その小さな「ああ怖い」を聴いたときの私の全身をビビビと走った大いなる感動は、皆様にどうやって伝えても伝えきれないと思うのです。孤独、という言葉がぐるぐると頭のなかを駆け巡り、目頭が熱くなったのでした。なあ、そんなんはお前の勝手な独りよがりの気持ちや、勝手にほざけ、と言われればそうかもしれません。でも、あの小声「ああ怖い」には万感の思いがこもっていて、一生忘れないだろうと思っています。

シューベルトの《ます》を演奏された時もありました。あれは繰り返しがたくさんあって(特別に大きく印刷し直したスペシャルなマイ楽譜だったので、繰り返しの数も増えるのです)大変だったんですよ。

ちょっとした秘密をお教えするなら、譜めくりの人が困らないように、というご配慮からと思うんですが、キーとなるページの上に、付箋のようにお魚の絵がぴょん、と楽譜の上に飛び出るように描かれていたんですよ。「ここに戻る」っていうことを教えたくてお魚を書いたんだな、これはきっと鱒なんだよな、と思いながらそのユーモアに微笑していました(とても絵がお上手なんですよね)。ご本人には尋ねなかったですけれど。

ありがたいことに公演が終わるたび「またお願いしますね」と言って頂いていました。去年の夏、富士市のロゼシアターでも同じ事をおっしゃり、普段私はアーティストの方に写真を一緒に撮ってほしいとお願いすることはないのですが、その時はなぜか、私から進んでおねだりして撮って貰いました。そしてそれが最後になりました。

それは私の大切な写真の一つです。

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