リストが1847年に演奏したオデーサの歴史的ピアノ、空爆で被害

Photo: Petro Obukhov, News read online

オデーサにが空爆を受け、大聖堂など様々な建物が被害を受けたという痛ましいニュースを目にしていましたが、「科学者の家」という1832年建築の建物も被害をうけたようです。そこにはピアノの歴史における偉人中の偉人、フランツ・リストが1847年に演奏したという歴史的に貴重なピアノがありましたが、それも被害を受けたそうです。

Franz Liszt’s piano and antique furniture damaged: what the House of Scientists looks like after the Russian attack – News read online
https://newsonlineread.com/franz-liszts-piano-and-antique-furniture-damaged-what-the-house-of-scientists-looks-like-after-the-russian-attack/

別角度の一枚:

美しい装飾の施されたピアノですね。写真を見る限り、落下してきた天井の破片?か何かをかぶっているのはわかるが、そのほかどのような状態になっているのかまではわからない。表面上の傷が浅く、内部に損傷がなければよいのですが。

フランツ・リストには1839年からおよそ8年間にわたりヨーロッパ中を演奏してまわった大演奏旅行時代というのがありまして、この間におよそ1000回ものリサイタルを開催し、驚愕のピアノの超絶技巧を披露してヨーロッパ中の人々を熱狂させた、そして自身もがっぽりと儲けた!(少なくとも一時リストは、パリのロスチャイルド銀行に現在の価値で約2億円の預金があった)のですが、この大演奏旅行時代にオデーサも訪れ、リサイタルを開催していたということですね。リストはこの時期ロシアにも行ったんやぞ、とどこかで読んだ事がありましたけれど、ウクライナにも行っていたのだね。オデーサの人々もさぞ、興奮して聴いていたのでしょう。

ちなみにピアノのリサイタルという言葉はリストが作ったんですよ。リサイタル、この言葉はすっかり定着していて、誰も疑問なく使うようになっていますけれど、リストが最初に使ったときはめちゃくちゃバカにされたらしいんですよ。ミニ知識な。なんでバカにされたかっていう話はまた今度にでも。今日は時間がないので。

リストの演奏を生で聴けた人はずっと自慢が出来たんだと思うんですよね。伝説の天才だし、この当時は電気も録音もないから、音楽を楽しもうと思ったら生演奏しかなかったので、大天才がわが街にやってくる!というのはまさに一期一会の出会いだったと思います。

ピアノが無事であることを願いつつ、このような痛ましいニュースを目にすることもなくなることを願っています。

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