浦和レッズの暴力行為、指揮者の暴力行為

浦和レッズのサポーターは昔から過激だということで知られていましたが、度を超した暴力騒ぎによって無期限入場禁止の処分が下されました。そして今朝、イギリスの老大家、指揮者サー・エリオット・ガーディナーが先日フランスで起こした暴力事件(舞台袖で歌手に暴言を吐き、殴った)によって「今年の指揮活動をキャンセルする」というニュースを目にしました。

John Eliot Gardiner annule tous ses engagements jusqu’à la fin de l’annéeDiapason
https://www.diapasonmag.fr/a-la-une/john-eliot-gardiner-annule-tous-ses-engagements-jusqua-la-fin-de-lannee-40104.html

この二つには、スポーツとクラシック音楽、見る側と見られる側、期限なしと期限付きといった様々な違いはありますけれど、暴力という共通の言葉がある。

指揮者や指導者に激しさがあるとすればそれは熱意の裏返し、あるいは成長への期待でもあるのかもしれません。またプロフェッショナルとして何かを究めたい、誰よりも抜きん出ていたいという願いや渇望はどうしても、ギリギリと自らを締め上げ、他人を鼓舞し続けなければ実現しないものかもしれません。ゆる~くたのしくやればええやん、というのとは違う緊張感はある。実際にそうでなければ世界の第一線で評価される、その評価が続くということはないと思うからです。

しかし、その願望が暴力やハラスメントといった方向へと進むのは、これまでだってだめでしたが今はもっとだめです。世の中はますます、暴力やハラスメントといったものに対して厳しくなってきています。昔はなかなか見えなかったものが見えるようになっている。こうして拡散されるとブーメランのように自らに戻ってくる。

ガーディナーはこのたび自らの過ちを認めて反省しており、過ちから学ぶ決意を固めている、カウンセリングを受ける、と代理人が語っているということだそうです。本人が出てきて直接謝罪しろや、というような声もあるかもしれません。しかしいまの世の中はそれもまた簡単ではありません。本来ならクラシック音楽に関心のなかったような人たちの感情をもかき立て、なんやなんや、と人を呼び寄せてしまうというようなことにもなりかねず、代理人による発表、これが穏当なのかもしれない、とも感じます。

変わることは簡単ではないかもしれない。でも、学ぶのに遅すぎることはないとも言います。暴れる、切れるという行為に対して自らを律することができるようになること、今後同様のことがなくなることを願いたい。

そしてそれ以上に私たちも自らを常に省みる必要があるのだろうと感じています。誰もが皆、気をつけなければならないのだろうなと思います。

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