ドゥダメルはなぜパリ・オペラ座を辞めたのか

ドゥダメルといえば、ベネズエラで生まれた「エル・システマ」の最高の成果というか、もっとも有名な存在で、クラシックの後発国つまり日本における小澤征爾、韓国におけるチョン・ミョンフンみたいな立ち位置の人ではないかと勝手に私は思っていて、それは正確ではないにせよ、あながち大外れでもないであろうと思います。

ドゥダメルはアメリカ大陸出身ということもあってか主にアメリカで活躍していて、ロサンゼルス・フィルでの大成功あるいはこれから行くニューヨーク・フィルでの活躍への期待値もめちゃ高いんだと思います。ニューヨーク・フィルはいま訴訟とかパワハラとかそういうあたりの話題で揺れているが大丈夫か。大丈夫、グスターボだから。

ところがパリ・オペラ座ではうまくいかなかったようで、去年の5月、就任から2年ぐらいでいきなりやめたんが話題になり、理由がようわからんということでも話題になった。理由がわからないときというのは大抵何かがうまくいかなかったんだと思うよ、煙はね、火がないところにはね、ということで、いろいろ憶測を呼んだ。そして辞任から1年経ち、フランスのル・モンド紙のインタビューに応えて重い口を開いた!!

ということなんだそうですがやっぱり事務局側との対立があったような感じかなという内容。フランス語だから細かいニュアンスは英語よりもさらにわからないんで間違っていたらすいません。音楽家たちとの間には素晴らしい絆があった。と。また2023年春のオーケストラのツアーがキャンセルになったことも大きかったと。なぜキャンセルになったのか。まあコロナからみんなまだまだ回復してなかったよねきっと、っていう、タイミングの悪さみたいなものもあったのかもしれない。そもそもドゥダメルが音楽監督をやっていたのはコロナの期間中だったもんね。

アレクサンダー・ネーフ(総裁)とは話し合いを重ねて、いろいろなアイデアがテーブルに並べられたが、オペラ座に受け入れられるものは何一つなく、経営陣は即刻解雇を選んだ、とのこと。

即刻解雇ってなんかサッカーの監督みたいですね。結果が出ないとなれば(出なさそうだと判断すれば)いきなり解雇!!バサー!

即刻解雇というのは本当に恐ろしい響きだ。そんな仕打ちを受けた日には気の弱い私など泣き濡れて蟹と戯れるよりないであろう。

だが解雇された監督がほかのチームをうまく上位に引き上げるというケースもしばしばあるんで、これは能力の問題と言うより、相性の問題ということでもある。

全文はル・モンド紙へどうぞ(なお課金しないと読めません。だからこのブログの内容もdiapasonのダイジェストを孫引きなのだ、すまん)。

コメント

コメント一覧 (1件)

  • 改めて、報道記事を確認してみると、デュダメルの就任は、パリオペラ座に多額の赤字があり、起死回生の手であったようですが、フィリップ・ジョルダンの後を継ぐには、荷が重すぎたのではないでしょうか。
    私は、以前、パリのサレ・プレイエルでベルリン・フィルを指揮した演奏を聴いたことがありますが、首を傾げるような出来でしたので、コンサート指揮者としてもどうなんでしょうかね。

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