楽章間に拍手をするのはいけないことなのか

定期的に話題になることです。

クラシック音楽において、楽章間の拍手は許されるのかどうか。いや、そもそも許す許さないという言葉を使うことが間違っているように思うのですが、クラシック音楽には「楽章間では拍手をするべからず」という暗黙のルールみたいなものがありまして、ド派手に終わる楽章の後でも、それが最終楽章でなければ静まりかえって座って次を待つというのが基本とされます。

そんな基本はいつ誰が決めたのだ、拍手はしてもよい、という言葉も時々あがってくるんですが、それは常に黙殺されるか、ほとんど話題にならない。では今回はどうだろう。レブレヒトが話題に出していたのですが、ピアニストのスティーヴン・ハフが「ほとんど気にしない。とくにチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の1楽章のあと、ブラームスの1番と2番とグリーグなんかも拍手前提ちゃうかあれ。チャイコフスキーの悲愴の3楽章の後もそやね、静かにしてる方が拷問やね」とツイートすれば、マルク=アンドレ・アムランも(註:二人とも超有名ピアニストです)それに反応して「お決まりでやってるんじゃない心からの拍手だったら気にせんけどな。携帯の音よりずっとええで」と書いております。なんで関西弁なのかは知りません。

じゃああんた(=山根)はどう思ってるんだと言われると、私は「拍手起こってもええじゃないか」派です。ハフさんの言うとおりチャイコフスキーの悲愴の3楽章の後とかは熱烈な拍手があってもいいよね。激しい3楽章がけたたましく終わった後に、間があけば拍手をしたくなるのが人間というもの。拍手したらええんやで。

指揮者によっては間髪を入れず4楽章に突入させて拍手をする隙間を与えぬというやり方をとる人もいますし、それはそれでいいと思います。そもそも拍手が起こって人生終わりますか。音楽が台無しですか。その程度で切れる集中力でいいんですか(煽ってごめん)。や、しかしチャイコフスキー5番の終楽章の最後の全休符は危険ですが、まあそこで拍手が起こってガクッとなってもべつにいいじゃないですかね。

終楽章ではない楽章の終わりで拍手=しろうと、わかってないやつが来てるな、みたいな感覚は、もしお持ちでしたらみなさんの頭からふるい落としてください。その感覚がどうしても拭えないというのであれば、黙って大人の対応、スルーしてください。露骨に嫌な顔をしたり舌打ちをしたり、終演後や休憩中に「今日の客は拍手しやがってわかってねーな」とか口にするっていうのはおすすめできないです。

そんな人たちを目にすると、クラシック音楽ってなんだか怖いな、みたいなことになって、にわか連が、ライト層が、初心者が足を運びづらくなる。客席は埋まってなんぼです。初めて来た人全てが快適な気持ちになって、爽快な気持ちでコンサートホールを後にして、次々とコンサートのチケットを買うようになる、それこそが全人類の目標なのです。

クラシック音楽はただでさえとっつきにくい、ファンとして入って行くのに壁高めな娯楽です。そして聴衆の高齢化も危惧される世界です。新しいお客様にお越し頂けなければコンサートはどんどん成り立たなくなります。お金、必要です。チケット代収入、めちゃめちゃ重要です。モーツァルトも自分の主催公演のチケットを売るのに苦労していたことを思い出してください。主催者はだれであれ必死でチケットを売っている。

クラシック音楽のファンが増えることはいいことです。ビギナーの皆様ウェルカム!拍手?どぞどぞ!の気持ちで行こうではないか。なんなら一緒になってバチバチと拍手をして場を盛り上げる、ぐらいの気持ちでよいかと思います。

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