これはなかなかセンシティブな話題だぞと思いながら読んでいました。音楽ファンとして、コンサートの裏側にいる人間として、あるいは主催者として、考えてしまいました。
ある高齢の女性が、ブルガリアの首都にあるソフィア歌劇場にやってきて、気分が悪いといって開演前に椅子に座り、そのままお亡くなりになったそうです。その結果、この日の上演は中止になった。次の公演(全2公演だった模様)は開催されたということです。そしてこれを伝え、家族へのお悔やみの言葉も伝えた主役のソプラノ、マリア・ホセ・シリに対して賛辞と同意の言葉が寄せられています。
とても残念なことだし悲しいことです。ご冥福をお祈りしたい。
しかし現実的な方面に目を向けると、主催者の歌劇場としては当然払い戻しをしなければならず、これが国立の歌劇場で、予算を潤沢にとは言わずとも、少しは余裕を持って運営をされていたからこそ出来たことであったかもしれません。自転車操業やそれに近い、吹けば飛ぶような零細である我々のような会社が主催していた場合、同じようなことが出来ただろうか。「決行」の二文字がちらつくであろうことはまず間違いないと思います。歌手ほか、出演者や関係各位への補償問題みたいなことも起こりえますし、この女性も自分のために上演が中止になることは望まれなかったのではないか、などとも考えてしまいます。オペラという、巨大なお金が動くイベントであればなおのこと。
そしてそこに観客としてやってきた人たちはどう感じたのかという点も気になりますしょうか。同じように驚きや悲しみは共有しつつ、直前になって中止が宣言されると、共感とお悔やみの気持ちだけでいられるでしょうか。お前には血が通っていないのか、と叱られるかもしれませんが、現実はどうだろうか。
遠くから来ていた人、この公演を非常に楽しみにしていた人もいたでしょう。私は昨日までフランスのアンブロネというところでコンサートをいくつか愉しませて頂きましたが、かなり離れたところから来た人もいたかもしれない。そう言った方々にしてみるとなおさら残念な気持ちの割合いは高くなるかもしれず、しょうがない、と簡単には割り切れないかもしれません。劇場全体が動揺するような大きな騒動の末に、などではなく、静かにお亡くなりになったということであればなおのことそうかもしれません(あるいは、静かに、とはいえ、少なからぬ動揺が会場にあったのかもしれない。それは文字だけではわかりませんね)。
こう思ってしまうのは私がさもしいからでしょう。こういった不測の事態が起こることを予期して会社は運営すべきなのかもしれません。それに、ここで中止の判断ができたということが主催者として高い評価と信頼を生んだかもしれず、反対に、決行していたら信頼を失うことになったのかもしれません。とはいえ、こういうときはこうする、という線引きは簡単ではないというのもまたきっと事実でしょう。
運営するということの複雑さ、難しさみたいなものを感じています。


コメント
コメント一覧 (1件)
初めまして。いつも楽しく拝読しております。
こうした件、以前から気になっておりました。実はここ3年程度で3回ほど演奏会で演奏中客席に病人が発生するところに出会しております(パリ、アムステルダム、ウィーン、なぜかいつもクラウス・マケラの指揮でマーラーの交響曲の演奏中)。病人発生であれば、一時は騒然としても(演奏中と楽章間でまた少し違いますが)、病院等へ搬送されればそのまま続けることが一般的かと思います(上述3回ともそのケース)。一方、その場で死亡が確認されてしまうと検死などの手続きが必要なのかもしれませんし、そうなると公演中止もやむなしかと思われます。
以前バービカンで隣になった方が、某ホールの聴衆は棺桶に片足突っ込んだような人ばかりと言っておられましたが、これからはどこのホールであっても更なる聴衆の高齢化は避けられず、こうした事象のより頻繁な発生が想定され、劇場/ホールや主催者のリスク管理(=想定されるケース毎の手順決めや保険を利用したリスクヘッジなど)が求められるのではないでしょうか。
追伸:細かくてすみません、不足の事態、は不測の事態ではないかと。