さようなら小澤征爾

日本の戦後クラシック音楽界における象徴。巨人。

今後これほどまでの巨人は現れないのではないかと思われる日本の宝。残念ですが、来るべき日が来ました。2024年2月6日東京の自宅で、心不全で死去。88歳。

難しい漢字なのにみんな読める。それは小澤征爾だから。板垣征四郎と石原莞爾の2人からそれぞれ1文字ずつもらったという話もセットでね。

ニューヨーク・タイムズワシントン・ポストが長文の追悼文を寄せていて、コメント欄も爆発していて(ものすごい書き込みがあって)、やっぱりとてつもない存在だったのだとの思いを新たにさせられます。

1960年代前半、アメリカのテレビ番組で「私の職業は何」というコーナーに出たこともある、とニューヨーク・タイムズに書かれていました。つまりそれだけイメージがしづらく、意外な!と思われたということの証でしょう。

ネット上には様々な追悼の言葉が現れていて、そこには具体的なエピソードにも溢れていて、私なんかは仕事を共にしたことはおろか、せいぜい1度道ですれ違ったことがあるだけぐらいなんで、何かを書くこともないかなと思います。でもこうやって書いているというか、書かないと落ち着かないというか。

甲州街道を新宿から初台方面に歩いていて、赤と黒の看板でおなじみの酒屋「やまや」を過ぎたあたりですれ違ったんですよ。15年以上も前のことですね。ご機嫌で、おひとりでなんかニコニコしながら歩かれていていたように記憶しています。オペラシティでリハかなんかがあって、小田急線新宿駅に歩いて向かっていたのかな?と、勝手に想像しています。

バイクとともに船でマルセイユに向かったのは1959年。青春だね。『ボクの音楽武者修行』は高校の頃に読んで興奮したものだ。ブザンソンなる言葉を知ったのもこの本です。いまちょうど息子ちゃんがやっているくもんの国語の推薦図書でこの本があるので、読んだらと言ってみました。息子ちゃんにも大きな夢を持ってほしい。

日本人のクラシック音楽家であれほど頂点を極めた人物はいません。もちろんどんな天才でもいいときと良くないときがあって、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストにははっきりとボストン時代、特に後年になるといろいろなトラブルや軋轢があり物議をかもした、とあります。そういう批判もありますけれど、それでも偉大な巨人だったことは間違いがない。カール・ライスター(元ベルリン・フィル)だって「セイジはほんとうに素晴らしいシンフォニー指揮者だ、ほんとうに。」と言ってたもんね。

クラシック音楽界は今後どうなるのか。もうあれほどの巨人は出てこないのだろうか?ぜひ現れてほしいと思います。世界中の人たちを魅了する大スターがボンボン、といはいわずとも現れてほしいなと思います。われわれは大スターに魅了されたいのだ!

ところでニューヨーク・タイムズで「モップのような」と表現されていたあのトレードマークの髪型は結局どうしてああなったのか。ものすごく特徴があって好きなんですけど、あの髪型に落ち着いた理由をご存じのかたおられましたらぜひこっそりと私にだけ教えてください。

コメント

コメント一覧 (1件)

  • 本当に残念です。

    「クラシック音楽界は今後どうなるのか。もうあれほどの巨人は出てこないのだろうか?」
    とのことですが、器楽演奏家は、小澤征爾氏と同じ、斎藤秀雄門下で多くの優れた演奏家や教育者が育っており、心配ありませんが、指揮者は、日本で育つかどうか疑問です。小澤征爾氏と同じように、若いうちから海外に飛び出していくしか、現状では無理でしょう。

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