藤井一興氏が亡くなったと聞いて。

昨晩、ホロヴィッツのスカルラッティを久しぶりに聞いていたら、知り合いからLINEが届いた。ピアニスト、藤井一興が亡くなったという知らせであった。

うそやん。

そう思ってツイートの世界を覗いてみたら、おびただしい数のメッセージでいっぱいであった。希有な方を日本は失った。70歳ってまだまだまだまだお若いのに。ちらちらと眺めていると、体調をこのところ崩されていた、糖尿性腎症だったとのこと。それにしても残念なことです。ひとしきり眺めて、ふう、と感慨に耽ってから、アルゲリッチがご機嫌に連打をキメるスカルラッティを聴いて、寝た。

私ごときが藤井一興の何を知っていて何を話せるのかというと、すいません、ほとんどないわけなんですが、桐朋で授業をとらせて頂いたことがあり、演奏もさることながら、あまりに特異な方でもあったので、非常に印象に残っているのです。不謹慎な、と思われるかもしれませんが、おかしかったエピソードをここに書いてみたいと思います。それにしても桐朋には様々なタレントがいましたが、特に際立ったタレントでした。演奏×人間味=最強。

より近かった方はさまざまな語録をご存じだと思いますが、いや、むしろ枚挙に暇がないと思うのですが、私が生涯忘れないのは以下の3つでしょうか。

①「そこを左へ。曲がるやいなや右です」(タクシーで中野区の駅から自宅へとお連れいただく最中に運転手の方に説明する発言)。「曲がるや否や」断固とした口調であった。こういう事をさらっと言える人はなかなかいないだろう。なぜかツボった私は車中、下を向いて笑いをこらえていました。

②「あら、声が二つ聞こえたわ、幻想的ね」大学の講義で(伴奏法だったか?)、出欠をとっているときに、代返で(藤井さんの講座は大人気だったが代返も多かった)、うっかり2人が同時に「はい」と答えた、それに対する返答。仙川ホールは当然、大爆笑で揺れた。

③「あら、これはすごい、まあ。これは・・・・・・月面軟着陸ですよ月面軟着陸」(レッスン中、鍵盤の蓋を閉めようとして、(裏側に重りがついているため、ゆっくりと閉じる)ヤマハの鍵盤の蓋の動きを見て。気に入ったらしく、何度かリピートして閉じていた)。まさかヤマハの鍵盤がゆっくり閉じる事をご存じなかったとは思えないが、そういう発言をして我々を笑わせてくれる。実に高度なギャグだ。私は笑いをこらえるため、うつむいて肩を揺らしていた。

ズーちゃんズーちゃんと、いや、ご本人を目の前にしてそんな発言をすることはなかったけれど、我々学生たちからも学生ホールではそのように言われ親しまれていた、しかし雲の上の存在でした。

ご冥福をお祈りいたします。

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