ついに名前の由来を聞かかずじまいでした。
一回聞けば絶対に忘れない不思議な名前。それが喜代種さんでした。きよたね、と読みます。私が武蔵野市民文化会館に勤めるようになってからすぐにお知り合いになりましたので、2009年の秋からですね。なぜかというと、この会館で開催されるコンサートの写真を林さんがずっと撮りに来ていたからです。これもぜひお読みください↓
文化事業団の公演を撮り続けて35年余。
「武蔵野で撮った写真って、いいのが多いんですよ」https://www.musashino.or.jp/1000005/1001461/1002938/1003312.html
通常プロのカメラマンがコンサートの写真を撮るというと、主催者が依頼して、お金をお支払いして撮って貰うものですが、不思議なことに林さんにはお金は一切支払れていませんでした。ご本人が、せっかく面白いものをいろいろやっているので記録を残しておいた方がいいよ、撮るから、と言われて撮りに来られるようになったと聞いていました。フラッとやってきて、フラッと撮って帰る。ご自宅には膨大な数のデータが残っているんだと思うんですよ。時々会館の地下にある展示室で、展示会をするというようなこともしていました(上の写真は2017年にやったときのもの。撮影はわたし)。
展示会はやっぱり感慨深かったわけですよ。あーこれこれ、このコンサートあったよね、から、あれっ?こんなのあったっけ、みたいなものもあるし、昔はこういうのもやっていたのか、というようなものもある。記憶装置としての写真。私も自分関係の写真がグーグルにドバーッとありますけれど、見返すと懐かしい。それのコンサートバージョン。
実は林さんは長っ尻で、けっこう長い時間をかけて写真を撮っていました。そろそろいいですよね、もうちょっとだけ、だめもうおしまい!!えー、けちーパシャパシャ。ほらほらおわり、もう開場します、パシャパシャパシャ。
セッションといって、演奏家を目の前にして、公演の前とか後とかに撮るのがお好き。しかも出来れば開演前に撮りたい。終演後だと、力が抜けちゃってるんだよね。開演前は顔つきがいいんだよね。
と言われると確かにそれは判るような気もするんですけど、なんせ長め。いろいろなポーズをとってもらってめちゃくちゃにシャッターを切る。「腕が悪いからたくさんとらないとだめなの、もう少しだけ、ハハッ」。
演奏家によっては、この写真なにに使うの、もらえるの、という質問をされる方もいて、いや、何にも使いません、もらえません、というと、じゃあやだ、という人もたまにいました。まあ本番前の緊張感の高まっているときに演奏以外の事に気持ちを持って行かれたくないという人もいますよね。そういう場合はどうするかというと、舞台袖からあるいは調光室と呼ばれる、客席後方の部屋から撮影をしていました。
撮影の合間やコンサートの前後に軽口をたたき合うのがいつものことでありました。なんていうか、こう、いい人、だったんですよ。押しつけがましくもないし、飄々としていて、重力を感じないというか、ふわっとした感覚の方だったんですよ。声もね、ドスが効いてとかじゃなくて、なんというかこう、重力少なめのお声だったんです。
最近は無音というか、シャッター音のしないカメラも増えていますが、林さんのカメラは控えめながら音がするもので、それにカバーをかけて音が低減するようにされていましたが、やはり若干音は出る。私は公演中にそれを袖でみていて、ちょっとひやひやもするわけです。大きな音の最中にシャッターが切れればいいんですが、ここぞ!という瞬間にいきなり音が小さくなることもありますよね。そういう時に限って「かしゃっ!」っていうんですよ。ま、しょうがない。
演奏中に気になって、舞台上から舞台袖の林さんに向かって「シーッ」と仕草をしたフルート奏者もいました。休憩中にシャッター音がするような気がする、というお声を客席からいただいたこともあったような気がします。そしてこれはご本人から聞いたことがあるんですけれど、東京文化会館の照明スペースからポリーニを撮っていて「存在感を消していたつもりだが本人と思いっきり目が合って睨まれた、ような気がする」という話もありました。
最後にお会いしたのはいつかな。今年の2月、神奈川県民ホールでお仕事をご一緒したときですかね。おっ、こんなところで、なにやってんの、最近どっすか、相変わらずダメ、へっへっへ、そんないつもの会話を致しました。
全然変わってないなと思っていただけに、昨日流れてきた訃報にはめちゃくちゃ驚きましたしショックを受けました。80だったんか林さん。
あの声と笑顔が見られなくなると思うと寂しい。
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