最新の研究結果という言葉は便利なマジックワードでして、この言葉を使えば過去を楽々と上書きすることが出来るわけです。過去を憶えていると言うこと、それが人間を人間たらしめているわけですが、過去の記憶は往々にして正確ではない。正確であると仮定しているだけのものであって、本当に本当かなんということはなんとなれば本人にもわからん。そうだったかも、そうにちがいない。そうかな。
記憶はうそつくわけですね。
私の記憶だって曖昧で、はっきりと憶えていることからぼんやりと憶えていることもあるし、憶えていないこともいっぱいあって、はっきりと憶えていると思っていることでも間違っていることもある。まあそれでええんやろうなと感じている。そんなあいまいな日本の私である。あいまいな日本の私と言ったのは大江健三郎であったと思う。違うか。いやん。
ヘルベルト・フォン・カラヤンは20世紀最大の指揮者の一人と言われていて、ザルツブルクに生まれたオーストリア人で、ベルリン・フィルを長く率いた人物であり、ウィーン国立歌劇場にもウィーン・フィルにも君臨した大物中の大物でありました。様になるイケてる髪型、目を閉じて演奏する過剰な自意識の発露。かっこういいね。まさしくダンジョンの最後に現れるラスボスに相応しい。
しかしラスボスとは倒されねばならぬ運命にあるもの。カラヤンも敵は多く、さらにはすねに傷がないわけではない。一番叩かれやすいのは、ナチ党員だったことですね。カラヤンにとって不幸だった(あるいはラッキーだったのかも?)のはカラヤンが出てきた頃はナチスが幅を利かせていたことですね。自分がのし上がっていくための方策としてナチスに入った、あるいは入らざるを得なかった。どこまでが本心なのかというのは本人のみぞ知るところどころか、本人も晩年にはわからなくなっていたかもしらん。
それはそれとして最新の研究結果にもとづきアーヘン市立歌劇場(若きカラヤンがポジションを持っていたドイツの左側にある劇場。アーヘンって今ではマイナーかも知れませんけれど、かつてはカール大帝が根城にしていた伝説の街なんですよね。蛇足。)に飾られていたカラヤンの胸像が、カラヤンとナチ党との繋がりに関する最新の調査結果にもとづき撤去されたということだそうです。
KARAJAN-BÜSTE AUS THEATER ENTFERNT – BR Klassik
どうかなと言わざるをえません。キャンセルカルチャーという言葉がドストライクで当てはまるような気がしてならない。何か目新しいことをやってやろう、自分は正しいと言うことを高らかに宣言しているだけなんちゃうのっていうかなんていうか。この胸像は市立美術館、シャルルマーニュセンターに引き渡されるんだそうですが、シャルルマーニュセンターはそれを貰ってもええんか。そして劇場はカラヤンの代わりに何を置く?モーツァルトの胸像を置くことを検討しているようです。
モーツァルトだってすねに傷はいっぱいあるんちゃう?たとえばギャンブルで身を滅ぼしたとか、借金まみれだったから子どもの教育上よくないとか、秘密結社に所属していた怪しげな人物、とかね。そのうち最新の研究結果に基づきモーツァルトも撤去せざるを得なくなるのではないか。
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