ブーレーズにまつわる13000点以上をニューヨーク・フィルが公開

今年は何の年!万博?阪神優勝?いいえ、ブーレーズ100年です。

そうなんだよ。1925年3月26日におぎゃあしたピエールぼっちゃんは、今年で生誕100年なんですね。まさかあんなにかわいくて聡明だったお子さまが、世界を揺るがす大物音楽家になるだなんて、父も母も思いも寄らなかったのにちがいない。それが人生というものだね。

ブーレーズがいなければ、20世紀音楽はちがうものになっていたか?

恐らく。

だがそれがどういう風に違った世界になっていたのかはわからない。ブーレーズ、いちどだけブーレーズ80歳記念コンサートというのをブリュッセルのパレ・デ・ボザールで聞いたんですが、つまり2005年のことだね、そのときは、ああなんていいお声なんだろう、と、フランス語はわからないんですが、そう思った事を強烈に覚えています。つまり私にとってのブーレーズとは、

いい声のおっちゃん

なんですよ!!もちろん、プリ・スロン・プリや二重の影の対話、ピアノソナタ第2番なんかも、我慢して聴いたのだが(やせ我慢が美徳の昭和世代)、なによりも、いい声、これに徹する!!

さて、ニューヨーク・フィルが、もちろん100年に合わせてきてのことだと思いますが、ブーレーズにまつわる書類13000点を公開したということで、ビジネス書簡、企画書、アンケート資料なども含まれると。あ、実際のアーカイブはこのあたりからどうぞ。

当時のお客様がどういう反応をしていたのか、とても気になるところだが、こういう方々はいくらブーイングを浴びてもどこ吹く風だったのに違いないから、罵声が飛んでいるのを眺めては、おーやっとるやっとる、と高みの見物をするのがよろしい(読んでないのでどういう反応なのかは勝手な想像)。

1971年4月に行われた、ストラヴィンスキーの死を追悼する公演で、なぜペトルーシュカを選んだのか、その理由が書かれた手紙もあると。「なぜペトルーシュカなのか。ストラヴィンスキーは、厳格さ、攻撃性、詩情、ユーモア、親しみやすさ、優しさ、悲観主義、憂鬱さが溶け合わない混合体である現代音楽に自らの顔を刻み込んだ。」

1975年にヴァレーズ《アメリカ》を演奏したことに対する批判の手紙とそれに対する説明の手紙、など。

真面目に読み出したらきっと何日あっても足りないのだと思う。ブーレーズファンの皆様、お待たせしました!!(誰も待ってないか・・・)

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