不死鳥ブロムシュテット、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管を指揮

Photo: Facebook/Gewandhausorchester

いま、不死鳥という言葉がこんなに似合う人もいないのではないですか。不死鳥にいまという言葉をつけるのも変か。しかし「転んでしばし休息」というニュースが少なくとも2回はあって、そのたび誰もが、ああこれでもう・・・・・・、と悟った。にも関わらず、またしても指揮台に立った。いや、座った。

96歳のグレートはグレートを指揮する。じゃなかった。グレートを作曲したシューベルトの別の交響曲を指揮する。2番と4番。ゲヴァントハウス管弦楽団をいま私がこのブログを書いている1時間前ぐらいに振り終わっているはずで、昨日の演奏の様子はゲヴァントハウス管弦楽団のfacebookにも出ているよ。これ。

さすがに座って指揮+座ってお辞儀。うむ、座ってお辞儀というのはなかなか見ないパターンだ!椅子の上でクルッとお回りになったのだろうか。そうとしか考えられないよね。だとすれば・・・かわええ。長椅子にお座りだから、回るのも楽ではないんでは?とか思うけれど、大丈夫欧米人は手足がアジア人よりもずっと長いので、スススのスーよ。

だがSNSを見ると歩いて指揮台にまで行っているようだ。ものすごい精神力。わしはまだまだ若い者には負けんぞ。おっしゃ!いっちょお願いしますよ。カーテンコールはどうしたのだろう。出たり入ったりしたのか。出ずっぱりで最後にいなくなって終わりだったのか。そのあたりも気になるところ。お疲れなんだから何度も出てこなくても!と思うけれど、本人としては何度でも出るぞ!かもしれない。それが生きる源かもしれない。やりたいようにやっていただく、それがベストなんだと思う。

もちろん今後のスケジュールも入っていて、7月にはバンベルクでブルックナー9番を指揮するとか書いてある。こうなれば100まで。100歳が、見えてきたかもしれない。もしかすると再来日も十分あり得るかもしれない。

万が一また転ぶことがあったとしてもきっと戻ってくる。そんな凄みも感じさせる。健康の秘訣はなんだろうか。いろいろあるだろうけれど、結局はDNAというか、個人による差なのかもしれないですね。うちで飼っている金魚も、めっちゃ長生きしている君と、残念じゃったがそうでなかった君に分かれましたから。

若者から老人まで様々な人が活躍する、それがクラシック音楽の醍醐味の一つなのかもしれませんね。

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