バレンボイムの健康不安

バレンボイムの体調がよくないようで世界中のクラシック音楽界が揺れています。数ヶ月は演奏活動から一歩下がる、と本人がツイッターで発表。「完全に引退した」とか「死亡した」という誤った噂話も流布しているぐらいなので、その存在の大きさが改めてわかるというものです。

現在79歳のダニエル・バレンボイムほどに音楽のみならず政治的にも影響を持つ人物がこの音楽界にいるでしょうか。アンチもたくさんおられるでしょうけれど、アンチが多いのはそれだけ存在が大きい証拠。好き嫌いは別として唯一無二の存在であることは誰の目にも明らかでしょう。指揮者でありピアニストであり、指導者であり、そしてボス。それも単なるボスではなくて、ビッグボスクラス、いやむしろラストボスであります。大魔王クッパよりも確実に強い。

https://theviolinchannel.com/daniel-barenboim-will-step-back-from-performing-due-to-ill-health/

私も中学生のころからバレンボイムのCDはたくさん買って聴いてきましたよ。

いま思い出していたんですが、10年近く前でしょうか、ローザス率いるケースマイケルのコンテンポラリーダンスっていうのでしょうか《3つの別れ》っていう作品をたしか彩の国さいたま芸術劇場で観ましたけれど(いま調べたら12年前でした)、その時、上演中に本人がバレンボイムとの会話について触れていたんですよね。「マーラーの《告別》(=「大地の歌」の終楽章)に振り付けたい」とケースマイケルが言ったらバレンボイムがチッチッチッと指を振って「あの曲は踊りには向いていない。ほかの曲なら何でもいいけどそれだけはだめ」といわれた、みたいな話でした(ちなみにケースマイケルはバレンボイムより18歳ぐらい若いです)。

その話を上演中に聞いて、別にええやんなあ、バレンボイムも意地悪やなあ、なんて思った記憶がありますけれど、今では「そうして自分に強い考えを持つというのは大切なことだよなあ」(両者ともに)と思っています。結局ケースマイケルはその意見に従わず作品にしたわけだし。

教育とはなんであるかを考えさせられます。結局ひとは他人であって自分ではなくて、教育者や先輩は次世代にアドバイスをするけれども、強引に従わせようとするのはダメだし実際に強引にやろうとしても人はついていかない。バレンボイムにしても、自分の考えに基づきアドバイスをしたけれど、それをどう受け止めどう活かすのか、それはあなた次第ってことだったんだと思います。

よき伝統は受け継がれるべき、とはよく言いますが、次世代に受け継がれることというのは結局次世代が決めることなんですよね。よいものと言われても、次世代に共感者が少なければ受け継がれません。クラシック音楽だって、いいもの、消えないものって決めつけていませんか。いつまで受け継がれるのか?次世代に魅力的に思ってもらうためにはどうすればよいのか?を考えるべきです。いいものが残るのではなく、残ったものがいいものなんです。

関係ないことをつらつらと書いてしまいました。

「今後数ヶ月はいくつかの演奏活動、とくに指揮の仕事から一歩下がることになりました。私の健康状態はここ数ヶ月悪化しており、深刻な神経症状と診断されました。これからはできるだけ自分の健康に集中しなければなりません。音楽は常に、そしてこれからも私の人生に必要不可欠で永続的なものです。これまでずっと音楽の中で、音楽を通じて生きてきました。これからも健康が許す限りそうし続けるでしょう。振り返ってみますと、私は満足しているのみならず、深く満たされているのです。」

最新の投稿では「この数日間、嵐のように見舞いの言葉をいただきました。ありがとうございます。皆さんの愛とサポートに深く感動しています。ダニエル・バレンボイム」とあり、わざわざ名前を書いているということは、本人ではない別の人が投稿しているのではないかという事も想像され、健康状態が心配されるわけです。

病状のご回復と、さらなる長い活躍を願っています。

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