すべての組織には寿命があるといわれます。創設の当初はだれもがやる気に満ち、キラキラと目は光り、やることなすこと全てうまくいった。しかし時代の変化とともに空気はよどみ、指揮者はやさぐれ、事務局長が口を開けば出てくるのは悪口で、組織全体は時代遅れとなり、人々の関心を引くことができなくなり、気がつけばにっちもさっちもいかなくなっている。泥船。ああっ!たぬきダメだそれに乗っていては!!そんなことが、ある。
これは当然、自分自身にも当てはまることなので、自ら気がつく範囲の事は気をつけていきたいものだと思いますし、世の微妙な変化を常に嗅ぎ分けられるようにしていなければ、とも思っています。
進取の気性ってやつですか、成功体験には縛られてはいけないっていうやつですか。まあ「運」の要素も少なからずあると思うんですけれど、でもねえ、運だから、つってそれだけを頼みにしていてもだめなんですよね。いろいろやってみて、最後の最後は運に任せる、賽は投げられた!!おおブルータス!!さあほうれん草を食べてオリーブを助けるのだ!!(いろいろごちゃまぜ)
だから私もあちこちに営業に出かけていってるのさ。え?まだ来ない?そんな方はすぐに私に教えてください。明日行くから。いやむしろ今日行くね。
フランス、リヨンで2013年に設立されたオーケストラOrchestre symphonique Ose!は、静かに、活動を終えたようです。確かにウェブサイトは「まもなくリニューアル予定」で止まったままのようだ。原因は助成金の不足ということだそうです。助成金の不足か・・・・。こう聞くといろいろと考えてしまいますね。
AN ORCHESTRA SHUTS DOWN IN FRANCE – Slippedisc
https://slippedisc.com/2023/05/an-orchestra-shuts-down-in-france/
助成金の不足が100%その終幕の真実だと仮定して進めますけれど、助成金ありきでやるのは確かに危険ではあるよな、と思います。助成金はあくまで補助的なものとして考えるのが本当なのでしょう。
とはいえ、オーケストラのようにたくさんの人が関わっているのにも関わらず、収入があまり見込めない団体は(というかクラシック音楽そのものが、とせざるをえないのかもしれません)、チケットの売り上げだけでは人件費その他をなかなかまかなえない。なので助成金、補助金の類いに頼らざるを得ない部分もあります。
もしくはスポンサーっていうのもありますよね。寄付行為の盛んなアメリカでは富裕層がガンガンオーケストラに寄付をしている、そうやって成り立たせているようで、あちらではスポンサーのことだけをやっている職員もいると聞きます。そのおかげかどうかアメリカのメジャーなプロオーケストラのミュージシャンたちは高給取りなんだとか、本当にうらやましいぞこんちくしょうめ!!しかしフランスの場合は、日本も多分そうですけれど、なかなか寄付集めは難しいようで、この不況の時代に助成金カットカットカット、となるとたちまち「モール」(死)が口を開けて待ち構えることになる。
いいものはいいんだから必ず残る、という姿勢は危険で、だから支援すべき、となるとますますダメです。いいものはいいものだぜと上手に、うざがられるぐらいに主張してお金を引っ張ってくる、そういう営業力が求められると思います。
どれだけ人に共感されるか、共感力っていうか、人たらしというか、この人たちにお金を出そうか!って思って頂けるように持っていく資質が必要なのです。詐欺行為になるといけませんけれど、質と中身の伴った素材を揃え、それを、こう、わっ!と魅力的に見せていく、そういうことが、これまでもそうだったけれど、これからはますます求められるのだと思うんです。
クラシック音楽だから、いいものだから、ではだめですね。頑張ろうね、俺たち。
コメント
コメント一覧 (1件)
私は25年ほど前、財政的にかなり厳しいプロオーケストラ事務局で経理を担当していました。楽団活動の核となる定期演奏会の収支は特に最悪で、観客の動員活動は愚か団員には売れ残ったチケットをただで配る始末。結局自治体からの補助金に甘える体質でした。しかし日本には補助金に頼らずに運営している素晴らしいオケも複数存在します。残念なのはそうした自主運営のオケの方が補助金に頼るオケよりかなり給料が低いこと。クラシック音楽は税金で補助するほど皆が必要とするものなのでしょうか。国の一般会計予算が使われているN響は当然演奏会単価も楽団員給料も断トツです。もっとチケット代を低廉にして、沢山の人達に観賞の機会を与えないと楽団員を目指す後継者が育ちません。先日話題となったドラマ、リバーサルオーケストラで楽団一丸となって演奏会のチケット全席完売を目指した姿勢。そんな直向きで健気な気持ちを持ったオケがどれほど存在するか。現在の状況では世界に通用するような意識高い楽団運営を実践するオケは生まれないでしょう。「オーケストラは死んだ」ある著名な演奏家の言葉が現実にならないことを希望します。