9月2日、都内で行われた映画『ピアノフォルテ』の試写会に、ありがたくもお招きいただき行ってまいりました。2021年にワルシャワで開催された第18回ショパン国際コンクールのドキュメンタリーです。なんでこのタイミングで日本で公開されんのというと、そらあもう、今年10月に19回目のコンクールが開催されるからですね。
本来ショパン国際コンクールは5、10のつく年に、つまり5年に一回開催されるのが基本。ただ20年はコロナで開催できず21年になった。そのあと26年を待つのではなく、イレギュラー的に4年の間隔で開催する。もとのルーチンに戻すというわけですね。というわけで今年、というかもう来月、ワルシャワに若者たちがまた集結するのである!その前章というか、関心を高め、より理解を高めるというような目的もあるでしょう。この映画がいま(9/26。詳細は上記のリンク、公式ページへ)日本で公開されるのである!ババーン!!
89分と一般的な映画よりかは短めでしたが、もうね、本当にね、一瞬で終わりましたね、ええ。普段私は足を組んだり、組み替えたり、時にウツラウツラしたりしながら(これが気持ちいいんだ)映画を観るんですが、両足を地に踏ん張って、最初から最後までずっと心を揺さぶられながら観ました。なんせ自分がピアノ科出身なもので、ごくごくささやかながらも似たようなシチュエーションに立たされたこともあるから、と言うとおこがましいですが、若者たちの感情、あるいは周りを取り巻く人々の感情がグサグサと刺さってくるんですね。わかるわ。わかるわ。共感力こそが人を動かすのですが、共感が過ぎて、つらい瞬間の連続である(あるいは自分勝手な感動ともいう)。
このドキュメンタリーに選ばれたピアニストは、監督が直感で選び、承諾を得た人たちとのことですが、もっともフォーカスされているのはエヴァ・ゲヴォルギアンとハオ・ラオという、ファイナルまで行くが入賞は果たせなかった人たちであるというのも、ぐっとくるというか。
結果に納得がいかないエヴァのシーンはあまりにもきつい。えっ、先生とのその会話、流しちゃうんだ(コンプライアンスー!)とか思っちまうんですが、おそらく承諾を事後に得ているんだと思う。鬼婆と言われてもいいほどバチクソに、ほんと信じられないぐらい厳しい先生が電話越しに最後にエヴァにかけた超プロフェッショナルな言葉に感動しない者はいないであろう。
あと、予選の前に、緊張したらこうしなさい、とアドバイスをする鬼婆・・・いえ、師匠とその次の瞬間に映されるまるで出来過ぎのようなシーンにも、これは現実か、現実や、と再確認させられるのです。
そしてハオ・ラオが好きすぎてしょうがない先生の様子がほんとうに微笑ましい。愛が溢れていて、すごくいい。でも距離近いんちゃう?いや近いって、近いっっ!!先生、元気かな・・・(とはいえめちゃめちゃ厳しい先生なんだと思う)。中国のママとパパは元気かな、何て声をかけたんだろうか。
悔しさがバネとなって人を成長させるのである。
コンクールは、たとえショパン国際コンクールといえど優勝したから、上位に入ったから終わりというものではありません。キャリアにおける巨大なブースターではあるものの、あくまでも「点」であり「通過点」にすぎません。「そのあと」こそが大切なのです。真の芸術家となれるのか、尊敬される音楽家となれるのか、それはコンクールが決めることではありません。一瞬の夢、花火大会は本当にあっという間に終わるのです。すぐにまた新しくフレッシュな才能が育ってくるのです。深く記憶に残るピアニストは、打ち上げ花火のように散って消えてしまってはいけないのです。
ここに出てきた若いピアニストたち全てが10年、20年、あるいは40年50年後にどういう歩みをしているか、そういうドキュメンタリーも見てみたいものだと思います。本当に。幸せな、充実した人生とは何か、を考えさせられるだろうから。そのようなドキュメンタリーが出来たとして、もう自分は生きていないかもですが、あらゆる人にとって意味のあるものであるに違いないから。
なお、冒頭に短く現れる過去のコンクール映像にも痺れるでということも付け加えておきたい。チメルマン大先生も優勝の瞬間感情を爆発させていて、若かったんやな!!(そらそうよ)
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