レナータ・スコット死去。イタリアの伝説的ソプラノ歌手、89歳。

飯守泰次郎さんに続き、レナータ・スコットの訃報。何か続き過ぎのような気がします。普段はなるべく明るく生きたい、行きたいと思っている私ですが今日は朝から(時差ぼけなんでめちゃ早い)なんだか気持ちが落ちてる感じ。スコットの死去を報じるニュースを読んでいたら気分はすっかり下げ下げ。

Renata Scotto, 1934–2023The Metropolitan Opera
https://www.metopera.org/information/memorial/renata-scotto/

Renata Scotto, starring soprano of 20th-century opera, dies at 89The Washington Post
https://www.washingtonpost.com/obituaries/2023/08/16/renata-scotto-opera-singer-dead/

Renata Scotto, Opera Diva Who Inhabited Roles, Dies at 89 The New York Times
https://www.nytimes.com/2023/08/16/arts/music/renata-scotto-dead.html

レナータ・スコットはまさしく大スターでディーヴァ、そしてプリマドンナでした。しかし「どうしても自分はスターになりたかった、プリマドンナになりたかった」という言葉を読んで何だか苦しい持ちになりました。私自身、若い頃はピアニストになりたくてなりたくてしょうがなかったのですが「君には才能がない」と留学先で言われ、ショックでしたがそれを受け入れました。何となく「ダメなんだろうな」って思い始めていたところ、そう言われて心が折れた(そうやって言ってもらえたのはよかったんだと思います)。

諦めない、ひたすら努力をする、そういうのも大事ですが、才能はリアルです。むしろもっと私は早くに気づき、受け入れるべきだったのだと思います。スコットにはずば抜けた才能や度胸があった。23歳の時、たった2日でマリア・カラスの代役を準備して歌い絶賛を受ける。これは普通の人間に出来ることではありません。そしていったんスターダムに駆け上がった後は世界の第一線を走り続けました。

第一線を走ること、それは煌びやかであると同時につらいことでもある。スターというのは輝ける太陽だが、いいことばかりでもない。すばらしいパフォーマンスをして当然で、ちょっとでもミスると叩かれる。平均点以上であっても批判される。いわれなき誹謗中傷に悩まされ、精神力を削り取られる。

マリア・カラスと比較され聴衆から激しくやじられるような経験もあったそうで、もちろん、それを跳ね返した時に得られる大喝采は代えがたいものだったのだろうとは思いますが、歌い始めてなお「ブラーヴァ・カラス!」などとやじを投げつけられたらどうでしょう。自分ならもうその場で逃げ出したくなるに違いない(実際スコットも幕間に楽屋で泣き出すようなこともあったそうです)。そして反対にスコット自身も、自分の意に沿わない指揮者や歌手に対して不当と思えるほどきつくあたることもあったといいます。そうか。

これは「そういう時代だった」なのでしょうか。現在においては猛烈なヤジとかブーイングとかはかつてのように表立って行われることはなくなってきていますね。それは恐らくいいことなんではないかと思うのですが、人間の中身はそう簡単に変わるものでもないですよね。直接的なやじ的行為はなくなって行っているかもしれないが、人の心の中に渦巻くドロドロとした思いの総量というものは減っていないのかもしれない。

スターとは何なのか、スターになるとは何なのか、劇場に生きるということがどういうことなのか。考えさせられます。あるいは別に劇場でなくとも、私たち一人一人、人間が生きて行くというのはどういうことなのかも。

私も毎日が不安や反省だらけ。それでも前向きに生きていかないとね。

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