アナトール・ウゴルスキがきのう、長く住んだドイツのデトモルトで亡くなったそうです。80歳。
EXZENTRIKER AM KLAVIER –BR
https://www.br-klassik.de/aktuell/news-kritik/pianist-anatol-ugorski-gestorben-100.html
若い世代の人にとっては「ウゴルスキ・WHO?」なのではと思います。たぶん日本には相当長く来ていなかったし話題にのぼることもほとんどなかったですよね。ピアニストだった娘さんが4年ほど前に癌で亡くなった時に少し話題になったぐらいでしょうか。
クラシック音楽の録音、レコードやCDというものに商業的な意味があった頃、「黄色いレーベル」という魔法の言葉がありました。ドイツ・グラモフォン。ここから録音が出たら一流やぞ!みたいな。黄色と書いて<いちりゅう>と読む、みたいな。
その黄色い魔法が有名にしたピアニストでした。1990年にソ連からベルリンに逃れ、難民キャンプにいたところを発見され、これは!ということでいきなりドイツ・グラモフォンからデビュー。そして13枚ものCDをリリースした。ウゴルスキの名前はなんと世界的に有名になった。魔法使いみたいな独特な風貌・髪型をしたウゴルスキのドイツ・グラモフォンの写真はめちゃ印象的だったし多分忘れない。これこれ↓
ウゴルスキがずっと住んでいたドイツのデトモルトという小さな街はご存じですか。音楽史に強い人ならブラームスが若い頃働いていたことがある、と言うかもしれない。私語りを許して貰うとすれば、私はいろいろな事情があってデトモルトに3ヶ月いたことがあるんですよね。ちっさい街でした。ビールが美味しくてね。小ぶりながらもがっしりとした音楽大学の近くの川べり?だったかな?のレストランに言って、外のテーブルで時々おビールを頂いておりました。911のニュースを目にして驚愕したのもデトモルト。そこで居候させてもらっていた友人は今、リンツ・ブルックナー管弦楽団で、重要なポジションで演奏しているんですよね。
デトモルト、と聞くと私の頭の中に若い頃の思い出がぶわーっと広がっていくんすよ。「思い出」「ストーリー」「バックグランド」そういうものは個人としても大切だし、広く人々の共感を呼ぶ強いフックとなり得る。
ウゴルスキに関しては、当局からの嫌がらせ、ソ連からの脱出、難民キャンプでピアノも持たず、といった壮絶なストーリーが人々に刺さった。それがメディアに乗って一気に知られることになったわけです。確か最初の録音がベートーヴェンのディアベリ変奏曲とかそういう重たいもので、その後もメシアンの鳥のカタログとか強烈に重たい作品を録音しているし、コンサートのプログラムも2時間半に及ぶ(クラシックのコンサートは通常2時間前後とされる)とかそういう感じ。ともかく重ためがお好きだったのではないかと思います。
重たくて、渋くても、意味があると受け取られたら売れる。そういう時代だったとも言えるかも知れません。
今日のブログはほぼ全部私個人の思い出。
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