フィンランドの最南端あたりあるウーシマーという町の学校で行われるはずだったヘンデルのメサイア公演が急遽中止になったのは、子どもには長すぎて退屈だから、ではなくて、宗教的な作品だから。学校側はメサイアをやると事前に聞いていなかったという。い
なに!!
聞いてないわけはなかろう。と直感的に思うのは間違いですか。まあ校長級の方は知らなかった、もギリ通用するか。
世の中はどんどん生きにくくなっていますか。それともこれはいいことなのですか。現在の価値観を過去にまで適用するのは行き過ぎなのか、と思うこともありますけれど、しかし若い世代の人たちがこれからを作っていくのだから、これからのことは若い方の判断に任せる部分もなければ!とは思いますけれど、メサイアの上演中止、なぜなら宗教的なものだからというのは、なかなか。
キリスト教というのはかなりヨーロッパの歴史と深い関係があり、いわゆる西洋クラシック音楽というものも非常に深く結びついている。その音楽を演奏出来ませんわ、とするのは文化そのものの否定となりまして、さてではどうする?そういう音楽は全部キャンセルですか、キリスト教はキャンセルですか、と進む可能性もありますか。
しかしフィンランドでは最近、無宗教の小学生に対する差別問題というテーマの話題があるそうです。2年ほど前には、ある都市で開催されたコンサートで宗教的な作品が歌われ、イエスという名前の歌詞を繰り返し聴かされ傷ついたという親のため1500ユーロの補償金が支払われた的なケースもあったそうで、お金が出た出ないはともかくこういう訴えがこの5年間で5倍に増えたとのことです。
ほんまか。
クレーマーは相手するだけ無駄なんで無視して燃料が燃え尽きるのを待つだけ、というやり方もあるようですが、そう簡単でもないですよねきっと。日本ではメサイアに限らず、キリスト教徒でもなんでもない日本人が全国でキリスト教的な音楽を歌っていて、苦痛は感じてないようだがどうなんでしょうか。苦痛を感じる人はいない、というのも乱暴な話なんでしょうけれども。
宗教のために救われる人もいれば、苦しむ人もいるのだ。世の中そうそう簡単ではないですし、今回のケースは極端なケース、とすることも出来ますが、そういう声もあるのだ、ということについては自覚的でなければならぬと思うわけです。やれやれ。
今日はラカトシュを手伝っているので、これからオペラシティへ行ってきますね。当日券もあるみたいですよ。くよくよしばかりてたってしょうがないから、とりあえず爆速ミュージックでスカッとしようぜ。
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