楽器を演奏する器楽奏者や歌手とは違い、自分では音を出さない、それが指揮者。不思議ですね。一般的な目線からすれば「指揮者って何やったはるん?」というのはいささかならずわかりにくいことですね。
いろいろあるんですが、分かりやすく単純化して話すと、交通整理をしていることもあるんですよ(それだけじゃないですけど)。停電している交差点で交通整理をするおまわりさん、いまはそういうのを目にすることもほとんどないと思いますけれど、昔はあって、ピッピーピーのピー!と笛を吹いては、交差点にやってくる車を次から次へと、さばいていく。
それが指揮者。恐ろしく雑に言うとそういうことです。交通整理の上手な人もいればあまりお得意ではない方もおられて、芸術的に車を美しくさばいていける人もいれば、クラクションがビービー鳴るそんなド下手(ごめんあそばせ)なお方もおられるのだ。しかもですよ、なぜか“お上手の反対の方”が聴衆からもお車からも人気がある、みたいなことも起こり得る、まことに奇々怪々な世界なのです。
ほんで、「なあ、現場で笛を吹くのもそろそろ若い者に任せて、わしらは後ろに下がって、なあ、もうニコニコ笑って座ってたらええやんか」。そういうことになるはずが、なかなかならないのも指揮者。
なんでか。交通整理と違って、コンサートホールにお客様を呼んでこないといけなくて、チケットが売れないといけないんですよ。主催者が倒産するんですよ。現実は厳しい。「もう引退でしょ」「無理でしょ」とかささやかれていたとしても、チケットが売れる、これはある意味大正義ですから、そういう事情で起用が続くということもあります。あと、ご本人もね、やっぱり望まれたら嬉しいですやんか。ええ~そうなの?もうしんどいでごわすけどな(やっぱ俺しかいねーのな、ニヤニヤ)。
求められると誰だってうれしいですもん。むしろ「もう来なくっていいよ」と言われることの恐ろしさよ。「おじいちゃん(or おばあちゃん)、口を開けばあの時の自慢話ばっかりなのよね」。・・・・・・ああやめてくれ!!!なお私の祖父は若いころ蒸気機関車の運転手をしていたらしく、そのときの話は何度聞いてもわくわくしたものでした。豚も、牛も、なんとなれば人間を轢いたこともある、などという話も聞いて戦慄していた子ども時代。
しかし、誰にだって限界はくる。年に40-50回のコンサートをこなす98のスーパー祖父、ブロムシュテット!にしてもそうですが、高齢~超高齢指揮者の体調不安が気になる昨今ですね。89のメータは先日のオーストリアのグラフェネッグ、そして昨日ボローニャのレスピーギ音楽祭に出るはずだったがどちらも無理だった。メータの代わりにグラフェネッグに出演するはずだったバレンボイム(82)も転倒して肩を痛めて無理だった。93歳のフェドセーエフは来日が出来なかった。85のエッシェンバッハにも健康の不安がささやかれている。元気なのはチャーリーおじさんこと御年88のシャルル・デュトワでしょうか。
しかし世代交代も必要ですね。若き才人たち、そう、たとえばソヒエフとかそういった人たちがもっともっとぶわーっと輝いていく今後に期待したい。なんでソヒエフかっていうと、昨日の楽友協会でウィーン・フィルをブンブン煽っていたらしいと聞いたんで。
コメント
コメント一覧 (1件)
N響でフェドセーエフさんの代役のメナさんは認知症をカミングアウトしている、フェドさんは日本でもう見ることはできないところまで来たのか。
エッシェンバッハさんは前回N響では足下危なかったが、今年の松本では・・・・
デュトワさんもアジアでの春祭ラストを言ってたし、新日振ったときは足下危なかった、風邪だったとの話もあるが、健康が難しくなっているのは見えている。。
何よりも観客の高齢化は世界中の傾向、言ってしまえばこのままでは10年で半減か。
だから全体的に次世代をターゲットとしたプランが必要では。
東京のオケは団員が若くなっているようなのが一つの救いの点かと。N響もジャズ系上手くなったのはその影響が大きいと思う。
まあ自分はその頃には命尽きているはずですが・・・・