72歳。10月20日日曜日、心臓発作だったそうです。若い。亡くなったその日曜にランチをともにした友人によれば、健康上の問題をかかえてはいたが、将来のすごいプランについて話し合ったそうなので、ピンピンしていていきなり、という感じではなかったということでしょうか。
私にとってオレイニチャクは、戦場のピアニストでピアノを演奏していた人、というイメージがいちばん大きいですね。映画館で見たし、シュピルマンのCDも買いましたね。浦久さんとのつながりで最近も日本に何度か来ていたのを憶えています
オレイニチャクがショパンコンクールに入賞したのは1970年の回なので、もう54年も前のことになります。うーむ、1970年って50年以上前なのか。結婚でいったら金婚式を過ぎているということになりますね。なかなか金婚式までいくのは簡単ではないわけですが、私の両親も金婚式的なみんなでお食事会!をやったのはコロナよりも数年前だったね。
私が子どもだった頃、祖父母の金婚式的な集まりが京都のリーガロイヤルホテル(当時はグランドホテル)であって、その時じいちゃんはじいちゃんしていたな、と記憶していますが、それが両親の世代になり、そしてやがては自分たちの世代になるのかもしれないと思うと不思議な気持ち。
人生は一方通行。
来年のショパンコンクールの審査委員を務めることにもなっていましたね。ショパンコンクールのFacebookにも訃報が出ているのを見ました。
「この100年間で最も重要なポーランド人ピアニストの一人であった」という表現にぐっと来る。
審査委員には誰か別の人が入ってくるのか、あるいは空席のままでいくのか。いずれにせよ、次の世代へと音楽は受け継がれていくし、受け継がれていかなければなりません。
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