ジョン・オグドンというピアニストをご存じですか。ほとんどの方はご存じないと思うんですけれど、アシュケナージと同じ回の、つまり1962年の第2回チャイコフスキー国際コンクールで優勝を分け合った人物です。チャイコフスキー国際コンクールはモスクワで鉄のカーテンの内側で開催されたにもかかわらず第1回目をアメリカ人のヴァン・クライバーンにかっさらわれたため、ソ連が威信をかけ、55年にショパン国際コンクールで2位、56年にエリザベート国際で優勝したウラジーミル(アシュケナージ)を第2回の有力候補として送り込んだが、なんとジョン・オグドンと優勝分け合うことになった。
これによってアシュケナージはソ連にいづらくなりロンドンへ、さらには妻の母国アイスランドへと移住することとなったのであった。なかなか難しい話ですね。とはいえその後の大活躍は皆様の知るところであろう。
もう一方の優勝者ジョン・オグドンもなかなかつらい人生を送ることになるのであった。重量級のレコードをリリースして行くも神経衰弱となり、苦しい晩年を送る。89年に52歳で死去。その後は急速に名前を忘れられてしまって久しいです。なかなか。そしてレブレヒトが書いているのですがオグドンを支え続けた妻、ブレンダ・ルーカスがお亡くなりになったそうです。享年90。
ブレンダ・ルーカスとジョン・オグドンといえば真っ先に私のなかで思い浮かぶのがメシアンのアーメンの幻影ですね。大学生ぐらいのころ一生懸命聞いていた20世紀音楽ですが、このCDはもうとっくに手元にはありませんけれど、たしかBBCのシリーズだったような気がする。いやEMIだったかな。記憶とはあいまいなものだ。これです↓
しかしオグドンと言う人は悲劇の人という印象が強いです。コンクールで優勝してもうまくいかないことも多々ある。妻のルーカスはオグドンが亡くなってから36年生きたわけですが、どういう後半生だったのでしょう。ウェブサイトがあって、2021年にはCDもリリースしていたようです。93年にはジョン・オグドン財団というのも作っていて、もうたぶん動いていないかほとんど動いていないのだと思いますけれど、サイトをみますと、オグドン作品のプロモーションや若い音楽家たちの支援なんかしていたようです。そしてアシュケナージもこの財団を支援しているようだという点も、味わい深いというか、じんわりと暖かくなるような気がします。
アシュケナージももう演奏会をしなくなって久しいですが、よきリタイア生活を送っておられることを願います(楽しそうにしたはるで、という話は2年ぐらい前にお聞きしたことがあります)


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