うわっ。
思わず声が出てしまいました。ゲイリー・グラフマン死す。97歳。
ゲイリー・グラフマンというと、現在ではラン・ランやユジャ・ワン、あるいはハオチェン・チャンなどを教えた教師として知られています。アメリカのカーティス音楽院でながく教えていた名教師。そしてピアノオタク的には「ホロヴィッツに習った数少ないピアニストの一人」ですね。ちょっとマニアックになりますが、ホロヴィッツにしっかり学んだ有名なピアニストは3人で、バイロン・ジャニス、ロナルド・トゥリーニ、それからゲイリー・グラフマン。アルゲリッチも確かホロヴィッツに習いたかったが習えなかった、んじゃなかったでしょうか。記憶がいい加減なんで間違っていたらすいません。
しかしいまの若い人たちはホロヴィッツと言われてその伝説的な存在についてあまりぴんとこないかもしれませんね。ホロヴィッツが東京に来たときの騒動たるや!(という自分も伝聞でしか知らないのテヘ)カジモトのビルの周りにずらーっと予約の人の列が出来て、上空にはヘリコプターが飛んだというのだから。
ホロヴィッツが教えたピアニストの一人であり、若い頃は天才として名を馳せ、世界中を飛び回るピアニストでした。伝説の興行主、ソル・ヒューロックと契約していたこともあります。しかし70年代末からジストニアを患い、右手が使えなくなっていった。同じくジストニアに苦しんだレオン・フライシャーはボトックス注射により奇跡的に回復したが、グラフマンの右手は治ることがなく(とはいえ少しは使えたそうです)、左手のピアニストとして活動をしていました。
そして後半生の教師としての活動は教師として。自身が7歳から17歳まで学んだフィラデルフィアのカーティス音楽院で1980年から教え始め、1986年に学長に、そして1995年からは理事長に就任した。2001年、92歳で退職。
より詳しい話はフィラデルフィア・インクワイアラーへ。


コメント