モーツァルト一家の貴重な資料12点、モーツァルテウム財団に寄贈される

モーツァルテウム財団というのはもちろん、モーツァルトにまつわる財団でして、モーツァルトが生まれ育った街ザルツブルクにあって、存在感を放っているわけです。ブワーッ!ほらね(存在感の放出の一例)。

ドイツ人のウィルス学者で熱烈な音楽愛好家でもあったハンス・ヨアヒム・エッガース(1927-2016)という方は1975年から2000年代の初めにかけてモーツァルト関係の品々の収集に情熱を注いだそうです。その結果、個人として最大規模のコレクションを形成するに至っていたと。

お亡くなりになって、その行き先どうする、ということになって、遺族がモーツァルテウム財団へだいたい寄贈したということのようです。モーツァルトの父レオポルドが書いたミゼレーレという曲の自筆譜、モーツァルトが書いた手紙2通。一つは1787年に姉に書いたもの、と。だいたい寄贈ということは「これは買ってよ」「えー?しゃーないな、いーよー」といったやりとりもあったということでしょう。

オークションとかで散逸せんでほんまよかったわ、と、モーツァルテウム財団は思っているようですけれど、確かにそうだと思う一方で、どちらがいいのかの判断はなかなか難しいと思いませんか。どっちがいいんですかね。

コレクターと呼ばれる方々がいて、貴重な品物を自分のものにしたいという気持ちと(だからこそエッガースさんは貴重な資料をたくさん所有していたわけです)、いや、貴重なものであればあるほど、それはしかるべきところに、しかるべき状態で保管されるべきで、なんとなれば人類の遺産でありますから、人の目にふれて公共的な意味で役割を持たせるべきである。そう、正倉院展はそれだけ大切ということだ!バーン!

あるいは、大谷翔平グッズと置き換えると分かりやすいですか。そういうのをオークションにかけて大儲けしようとする方々に対してはなんとなく、その価値は理解しつつ、どことなく釈然としない気持ちもほんのちょっぴりあったりしませんか、ないですか。素晴らしいですね私は俗物なのでそれでいいのかなあ、って思いますけれど。ええんか。ま、ええか。

というわけでエッガース氏のご家族からだいたい寄贈された12点を含むエッガースコレクションから厳選された16点がただいまザルツブルクで公開されていて、2月1日までなら誰でも見ることが出来るそうです!ってちょっとまって、12点以外にもコレクションがあるということですね。それらは今後どうなるの。オークション行き?もしくは取るに足らないから別にいいやっていうこと?

さあどっちだ!!!膨らむ妄想!!「俺の尻を舐めろ!」みたいな貴重な直筆の手紙とかはとっとく、みたいな?そもそもそんなお下劣なものは貴重なのかどうか?(その前にエッガースさんは多分その手紙は持っていないと思う)

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