わざわざ椅子なしで、と書く事に何の意味があるのか、と思われるでしょう。
意味がないわけではないのです。椅子が指揮者のために用意されているということは、恒例の指揮者の場合、とく最近ではよくあることです。そうないことだけれども、まあないわけではないよね、ぐらいですが、バレンボイムのために椅子が用意されていたのは、バレンボイムは82歳で、パーキンソン病を患っていて、わざわざ立って指揮しなくてもいいじゃない、というわけです。だから椅子が用意されていて。
しかも、そもそも指揮は出来るんだろうか、という心配もあったわけです。先日も転んで方を怪我し、グラフェネッグ音楽祭への出演がかなわなかったわけですから。しかし、ベルリン・フィルに今週登場中で、なんと椅子をわざわざどけてもらって演奏した。3日間には出演が全公演かなうのではないか!
目撃者によると、バレンボイムは最初のオベロン序曲を指揮したあと、やや苦労しながら指揮台を降りると、挑戦的な様子で聴衆の方を向くと数秒間立ち止まってみせたそうです。挑戦的、と見たのはその人の印象かもしれませんけれど、でもバレンボイムにはそういう言葉が似合うかもしれません。
最近はとんでもなくテンポが遅くなっているといろいろな人から聞きますが、後半のベートーヴェンの7番ではわりと?快速だったもよう。いや、デジタルコンサートホール課金しろやって言われたらその通りなんですけど。あ、そうか、課金、しよっかな(遅いわ)。
スタンディングオベーションと大歓声とあり、その場の人々はさぞ楽しかっただろうなと思いますね。一期一会ですえね。昔働いていた会館では、松露の茶の湯、一期一会、というお茶会をやっていまして、いや、私が担当していたわけではないんですが、なんとなく一期一会という言葉には特別な思い出があるんだ。
バレンボイムがアジアに戻ってくることはもうかなわないでしょうけれど、こうしてホームグラウンドのベルリンで指揮することはまだあるのではないか!ネットを眺めながらそう思いました。
いや、ひょっとしたらアジアに戻ってくることもある、かもしれませんね。バレンボイムなら。
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恒例、方