ダメダメな私は北京と上海の位置関係も判っていませんでしたが、今回こうして、旅をすることでどういう位置関係なのかが判りました。旅をすることの楽しみの一つですね。その地域への解像度が上がる。人間の脳という記憶装置のおかげだ。
ぼやっと「上海っていうだけに海沿いやろ」ぐらいに思っていたのですが、
・だいたい東京から瀬戸内海をぴーっと抜けてその延長線上あたりにある
・そもそも北京から南に行く、途中に南京もある
・南京を過ぎたら右へ(東へ)
ぐらいには理解ができました。香港や深圳、広州はもっとずっと南で、これらの都市は仲良く固まっているんだね。およよよ。
これこそが現場力の強さというやつですね。現場にいけばそこに答えは転がっている!!(当たり前)いや、実に意義深い体験でした。北京は、北の京と書くだけあって北にある。そういう当たり前のことが、自分の中でシュバババ!!と消化されたのであった。現場最高。

上海にはどうやっていくの?電車で行くの。中国の高速鉄道。これがすごかったのである。350kmで走る(日本の新幹線の最高速度は320km)。ちゃんといま350kmやでー、と表示が出る。しかも、日本の新幹線よりも揺れない気がする。直線が多いからなのか、とも思いますが、実は私は日本の新幹線はちょっと苦手で、揺れるからなんですね。なのである程度遠い距離は飛行機で行きたい派なのです。飛行機は怖いが、新幹線みたいな揺れ方をしないので、ありがてえのです。ところが中国の鉄道は揺れなかった。しかも来年からは350kmではなく400kmで走るようになる、なんとなれば450kmを目指す、ということなので、広い国土も狭くなろう。良きかな。

北京を8時きっかりに出て、上海に着いたのは12時30分。4時間半。アプリで自席を登録して注文すれば、次の駅で食べたいものが自席までデリバリーされる、というとんでもないサービスもあって、これは過ごすぎる。新幹線でも導入したらどうでしょう。地元の活性化にもなるのでは。
昨日も書いたとおり上海滞在は半日だったので外歩きはしておりませんけれど、タクシーから眺めた街の景色はより東京に近いというか、北京のような爆裂な巨大さとは違い、こう、なんか洒落た街、という印象でして、道をぶっ飛ばす二輪車もちゃんとヘルメットをみなさんかぶっておいでだ(北京はノーヘル、子どもと二人乗りノーヘルも通常のようで、危険度+2ぐらいな感じ)。赤信号でも右折をしてよいという謎ルールは変わらぬようですが、なんか野性味あふれる北京よりも洗練された感じっていうのでしょうか。半日、しかも外を歩いてないのになぜわかる、と言われればそうなのですが、上海の人に上海の方が好きかも!と言ったら喜んでいただけました。立派なリップサービスが出来たようだなと、私も実に感慨深い気持ちになったのでした。
KameManNenというメガネ屋があって、うわーおもろい!!と写真を撮ったら鯖江の会社でした。そらそうよねと一人で微笑。

磯崎新が設計し、永田音響設計がアコースティックを担当した上海音楽庁の音響は素晴らしく、どこで聴いてもよく聞こえる、きれいに響いている!!驚きのホールでした。
ジャガーがスポンサーしているのもすごいなと思いますし、爆裂暑いお天気なのにもかかわらずホールの中はギンギンに冷えていて、ごめんね、と若干罪悪感は感じつつ、素晴らしい環境でありますねと感動したのです。

お客様についても、比較すれば、という感じではありますが、人々ももう少しドレスアップしている印象があり、洗練感を感じるものでした。とはいえ、昨日北京の国家大劇院でドレスアップしすぎて浮いちまったぜ現象の反動でジーパンにユニクロの黒Tシャツになった私でももちろんOK。なんとなればホールの企画担当者も、スニーカーにショートパンツ姿だったので、これは実にいい。見た目はカジュアル、現場でもカジュアル。でも企画している内容はギンギン、これはいいですね。形から入りがちな我々にとって示唆に富むものだ。なんで暑いのにジャケット着ないといけないの?そうですよね。

問えば、上海のお客様は北京よりもシリアスで、公演後には中国版インスタで活発な議論がなされ、批判的なコメントもあり(自分がより知っているということをひけらかしたいだけのスノッブな人もいるんだけどね、とのこと。まあこれは世界中どこでもそうかもですね)、中にはiPadで楽譜を見ながら演奏を聴く方もいるで、とのことです。さすがにそこまでするのはどうかと思う、と笑いながらとある関係者は言っていましたが、なるほどやはり地域差があって面白いものだと思いました。
しかし北京同様、年齢はずっと若く、えっ、日本は高齢者が多いの!どうして!と真顔で言われてしまいました。若者が来ている、若者が文化を支える、こういう姿を、我々も目指し日々努力をしなければなるまいて、と思いながら午後10時20分、会場を後にしたのでした。充電器を楽屋に忘れたまま。
上海空港に深夜まで営業しているファミマがあって、ケーブルを売っていたので九死に一生を得たのであった。完。

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