ウィーン国立歌劇場は2025年以降音楽監督不在に

恐れながら自分ニュースです。昨日より福島県いわき市におります。なぜならば昨夜いわきアリオスにて開催された「小山実稚恵 ピアノの魅力を語る」において進行役を務めさせていただきました。繰り返します、昨夜いわきアリオスにて開催された「小山実稚恵 ピアノの魅力」を語る、において不詳私が進行役を務めさせていただきました。ご来場ありがとうございました。お招きいただきありがとうございました。いわきには来年2月にも戻ってまいります。自分ニュース終わり。

そしてウィーン方面で爆弾発言が出ました。いや、ウィーン国立歌劇場には音楽監督のいなかった時代も長いのだからさほど爆弾でもないのかもしれませんが、ともかく、2025年9月に現音楽監督のフィリップ・ジョルダンが退任した後は、音楽監督の職をなくす、という発言が総裁ボグダン・ロシュチッチの口から出たということで、蜂の巣をつついたような大騒ぎになっている、、、、かどうか解りませんけれど、スキャンダラスな発言として、静かに話題になっているような気は致しますね。ニュースの本文を読んでも恒久的になくすとは言ってなさそう。とりあえずなしで行くね、ぐらいの感覚のようにも読めますが、控えめな言い方をしておいて実はそうではない、というケースもございますから、全く解りませんね。

https://www.radioclassique.fr/classique/le-staatsoper-de-vienne-renonce-a-se-doter-dun-directeur-musical-apres-philippe-jordan/

https://www.derstandard.at/story/2000141456237/bogdan-roscic-ab-september-2025-kein-musikdirektor-mehr

現状のウィーン国立歌劇場はどうかというと、券売率は99%から98%とのことで相変わらずの絶好調であると。一人の聴衆が購入する枚数は減少しているが、そもそも購入者の数が増えていると。どこもかしこもチケット販売に苦労している中、うらやましい限りであります。しかしこれは世の中全体にそのような傾向があるのではというような気もしています。つまり1位が全部かっさらうというやつで、1位じゃなきゃダメなんですが、はい、ダメなんですというやつ。

一強、あるいは最強の人たちががすべてを持って行く。中間層には人が集まらない。時代的にそういう傾向があるように感じます。これがいいのか悪いのかというと、あまりいいことのようには思わないわけです。ざっくり言って層が薄くなるような気がするからです(気がするから、だけだと理由として弱いですけが)。しかし世の中がそうなっているようだ、という認識は必要で、ただ指をくわえてそれを眺めるだけではいけないとも思います。誰しもにかつてない工夫が求められる時代なのだ。

ウィーンに話を戻しますと、音楽監督をなくすことでロシュチッチに権力が集中されるのではないかという憶測もなされている。なるほど。であるからには本日はこの警句を持って結びといたしたい。「権力は腐敗の傾向がある。絶対的権力は絶対的に腐敗する」―ジョン・アクトン

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